憐夜とライ

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 「あ、来た! おじいさん!」
 憐夜はルナを通りすぎ、走り去る。ルナは慌てて振り返った。
 ルナの後ろで杖をついたおじいさんが憐夜に優しげな表情をしながら歩いてきていた。
 「……?」
 ルナやナオはまるでいないかのような扱い。
 やがておじいさんは杖で地面に絵を描き始めた。
 「わあ! おじいさん、これはお馬さん?」
 憐夜は目を輝かせて地面に描かれた馬を熱心に見つめていた。
 「今日はお馬さんを描いてみたよ。描き方はこんな感じで……」
 「教えて!」
 二人は楽しそうに笑い合っていた。ルナは憐夜の楽しそうな顔を見つめた。
 木の枝で馬を描く憐夜の袖から青アザだらけの腕が見える。
 ……アザがある。
 でも、すごく楽しそう。
 お馬さんを描いてるだけなのに。
 楽しそうだ。
 絵ってそんなにおもしろいかな。
 気がつくと夕方になっていた。
 時間の感覚がよくわからない。
 ここにいたのは本当に少しだ。
 なのに、もう夕方になっている。
 「おじいさん! 今日もありがとう! また、明日ね!」
 「また、来るね」
 おじいさんは一言だけ言うと手を振り、山を降りていった。
 憐夜はその後、走りだし、何かを集め始める。
 なぜか風景が憐夜を追い、ルナが動いていないのに森が動きだした。
 「ただの過去戻りじゃない……。これは、あの子の過去だけど、普通の過去戻りじゃない」
 ルナはつぶやくが過去は流れていく。まるで映画を観ているかような感覚だ。
 憐夜は食べられそうな木の実や木の枝を拾っていた。
 どこか焦っている。
 暗くなる前に家に帰りたいのか?
 「憐夜、遅いぞ。忍がのろまでどうする」
 家の近くにある川岸の岩に腰かけていたのは、若い更夜。
 「おじいちゃん……?」
 ルナは若い風貌の更夜に驚いた。初めて見たからだ。
 「ごめんなさい……お兄様。木の実がなかなか見つからなくて……」
 憐夜は絵描きさんに会っていたことを隠しているようだ。
 「……出来が悪すぎる……。お前はすべてにおいて、忍としてできていない。これでは使えない」
 更夜は木の枝を組んで火をつけた。とったらしい魚を木の枝に刺して焼き始める。
 「……次は早く調達します……」
 「余計なことをしていたのはわかっているぞ……憐夜。本日、教えた忍術の練習もしていないだろう。練習すると嘘をついていなくなった。俺はお前を監視していないが、わかるぞ」
 「ひっ……」
 人殺しの冷たい目をした更夜に睨まれ、憐夜は小さく悲鳴を上げた。
 「わた、わたしは……人を殺す術など覚えたくないです……」
 「覚えないとお前が死ぬ! お父様は使えない忍は処分すると言っている! このままではお前がそうなるんだ! 何度言えばわかる!」
 更夜は憐夜を怒りに任せて蹴り飛ばした。
 「……痛い……。なんで、こんな思いをしなくてはいけないのか……。他の子供達は楽しそうにしてるのに」
 憐夜は唇を噛み締め、拳を握りしめる。
 「更夜、また憐夜が言うことを聞かねぇのか?」
 気がつくと更夜の兄、逢夜が立っていた。
 「毎回、聞き分けがないと困るな、わからせるか」
 逢夜の横に姉、千夜も現れる。
 ルナは千夜を見て震えた。
 自分が知っているおばあちゃんと全然違うからだ。この時代の千夜は更夜、逢夜の上に立つ、残忍な少女。
 憐夜は兄、姉の冷たい瞳に体を震わせていた。
 凍夜望月は命令違反、口答えを許さない。
 逢夜が憐夜を引っ張り、近くの岩に手をつかせ、腰から尻まで着物を脱がせる。千夜に背を向けたまま、逢夜に押さえつけられた憐夜は涙を浮かべ謝罪を始めた。
 「ごめんなさい! 逆らいませんから!」
 「憐夜、命令違反の罰だ。暴れず受けなさい」
 「嫌だァァ! やめてぇぇ!」
 更夜が憐夜の口に布を噛ませ、食い縛りを防ぐ。
 「……百叩きだ、いいな」
 千夜は木の枝を思い切り憐夜の背中に打ち付け、憐夜は痛みにのけ反りながら呻き、泣く。
 「……な、なにやってるの……。ね、ねぇ……」
 ルナは憐夜の背中が痛々しくなっていくのを震えながら見ていた。憐夜は岩に食い込む勢いで手を握りしめている。
 その赤くなる背中に怒り、憎悪、悲しみすべてが混ざっているような気がした。
 「け……ケジメでしょうね」
 隣にいたナオがようやく言葉を発してきた。
 「こ、これ……ケジメじゃなくてイジメだよね……。ダメだよね……」
 「ええ。押さえつけて三人で痛め付けている。非人道的ですよ。ですが、これが彼らの日常でした。彼らは悪いとは思っていません。あの子を生かすため、必死なのです。……これは本ですね。私達は今、本の中にいます。この能力……」
 ナオは空を見上げた。
 雲の端にページ番号が書いてあった。
 「天記神の図書館にある、木々の記憶の本。弐の世界の特殊な世界観と天記神の能力で作られた歴史を追体験できる本ですよ。木々は紙になりますから、もう今は亡くなった木から記憶を引き出して天記神が編集してるのです」
 ルナは眉を寄せる。
 「わかんない」
 「ま、まあ、ですよね……。なんでここに飛ばされたかわかりませんけど、本から出るには『しおり』か物語を最後まで見ないといけません」
 ナオの説明にルナは目を細めてから憐夜を見た。
 「わかんない。でも、あれはイジメだ! ルナ、許せない」
 「ルナさん、物語の登場人物達に読者を認識させてはいけません。干渉したら気づかれます」
 「でも、あれは!」
 ルナが叫んだ頃には憐夜は解放されており、その場にうなだれて泣いていた。きょうだい達は焼いた魚を無言で食べ、憐夜にも魚を渡す。
 「さっさと食え。食ったら修行だ」
 「……はい」
 憐夜は逢夜の冷たい一言に素直に返事をした。
 その後、小さくつぶやく。
 「もう嫌だ……。『この記憶』をなんでもう一度繰り返さないといけないの……。私はなんで記憶通りにしか動けないの?」
 その言葉はルナ達の耳に届いた。
 「もしかすると、憐夜さんだけ物語の憐夜さんではない? これはルナさんの力で『本の記憶内の憐夜さん』を現在の憐夜さんに上書きしてしまったのでしょうか? 過去戻りは憐夜さん、ライさんを巻き込んだはず……」
 「わかんないけど、ルナは憐夜を救う!」
 ルナは走り出していた。
 「ま、待ってください!」
 ナオはルナの手を掴んだ。
 「何?」
 「もっと様子を見ましょう……。天記神に気づかれたら、私の立場が……」
 「誰? それ。ルナ、知らない!」
 ルナがナオを振り払った時、ページが進んだ。
 「なぜ、言うことを聞かない! お父様に従え! 死ぬぞ!」
 若い更夜が憐夜を叱りつけている。
 「あぐ……」
 憐夜は殴られ、木に打ち付けられた。
 「手裏剣は! 当たったら怪我をしてしまいます! 刃物を持つなら筆を持ちたい!」
 憐夜は泣きながら更夜に叫んでいた。
 「許されるわけないだろう……。そんなこと。お前はお父様に尽くして望月のため、生き抜くんだ。それしか道がないんだよ!」
 「そんなわけ……そんなわけない! 私は自由になりたい! 人を殺したり、騙したりしたくない! 私には意思が……意思があります! 絵を描いて皆に喜んでもらう人生を歩みたいんです!」
 憐夜は全く忍らしくなかった。
 初めから忍になろうとせず、ずっと家に反対し続けていた。
 「そんな人生、お前には存在しない。あるわけねぇもんにすがるな!」
 更夜も感情を抑えられていない。憐夜のような考えに触れたことはなく、父、兄、姉の言いなりだった更夜。
 更夜は心のどこかで困惑していたのかもしれない。
 「兄に逆らうなら……」
 「それもおかしいとは思わないんですか! また、暴力振るうんですか! 痛みを与えれば従うとそう思っているんですか?」
 憐夜は震え始める。
 憐夜は暴力が嫌いだ。
 叩かれるのも殴られるのも縛り付けられるのも焼かれるのも全部嫌いだ。
 痛いから、苦しいからやめてくれと懇願し、謝罪し、従うことを約束する。
 いつも同じことをしているのだ。
 「上に逆らう、それは望月では大罪だ。仕置きは足の爪二つ」
 「嫌っ! 嫌アァ!」
 憐夜は狂ったように叫び出した。
 「……両足の小指でいい。出せ」
 「そんなこと……じっ、自由になれないなら、自由を掴みます!」
 憐夜は近くにあった木の枝を掴み、構え、涙を流しながら更夜を睨み付けた。
 「ウワアアア!」
 憐夜は叫びながら更夜に殴りかかる。
 更夜は憐夜の木の枝を軽く弾き、胸ぐらを掴んで地面に叩きつけた。
 「いっ……」
 憐夜が呻く。
 更夜は憐夜に馬乗りになると口を開いた。
 「修行もしてないのに、俺に勝てるわけはない」
 「はな……離して……」
 「仕置きが終わっていない」
 「ひっぐ……」
 憐夜は変わらないきょうだい達に悲しくなり、憎しみが深くなり、静かに泣いた。
 同時にこの世に自分を産み落とした世界を恨むようになった。
 ルナは更夜の残虐さに震え、何も動けなかった。
 「ギャアア! いだい! いだぃ! もうやだ! もうイヤァ!」
 憐夜の血にまみれた叫び声が響く。
 「おじいちゃん……酷いよ……。酷すぎるよ……。ルナは……胸が苦しい」
 ルナは拳を握りしめ、泣く。
 「許せない! ルナはおじいちゃん嫌いになる! だいっきらい!」
 ルナは怒りに任せて叫んだ。
 更夜がふとこちらを向いた。
 更夜はルナを見て、すごく悲しい顔をした。
 そのままページは進む。
 「なんで……そんな顔、するの……おじいちゃん……。こんな怖さと痛みで支配するなんて、おかしいんだよ……」
 ルナは自分がやってしまった暴力支配にまた、心を痛め始めた。
 ……やっぱり……痛みでわからせるのはおかしい……。
 ルナはおかしいことしてたんだ。あのおじいちゃんの顔……きっと、思いどおりにならなくてあの子達を殴った自分と同じ顔だ。
 「また、先へ進んだ……」
 ルナの心は限界を迎えていた。
 今までの更夜、千夜像がすべて崩れ去っていたからだ。
 なぜ、自分にはあんなに優しくしてくれていたのに、こんな酷い事をしていたのか。
 ルナにはわからない。
 わかるにはルナは幼すぎる。
 「憐夜……今日はお前が……食料を調達してこい……」
 「……え?」
 更夜の言葉に憐夜は眉を寄せた。今までは枝拾いや食べられる物を見つけてこいなどの指示だった。
 それが食料調達だ。
 望月家はある程度裕福である。
 ただ、外に出る仕事なら食べるものを見分けるのは必要だ。
 憐夜はそれの修行中だった。
 望月家にはそんなに食べ物がないのか?
 「山を降りて村から野菜をわけてもらってこい」
 「……それは……」
 「何も言うな、さっさといけ」
 更夜は憐夜に米を少量持たせ、その場から去っていった。
 「……山を降りて逃げろということ?」
 憐夜は兄の行動を疑い、眉を寄せた。
 
  憐夜は更夜の気持ちがわからないまま、山を降り逃げ出す。
 「逃げるのは今だ。逃げるのは今だ!」
 憐夜は少量の米を包んだ布を握りしめ、必死に山をかける。
 「はあはあ……」
 自然と涙があふれてくる。
 更夜のことは嫌いではなかった。兄はいつも何かと戦っていた。自分をかばって父親に暴行されていたのを見たこともある。
 兄も逃げたかったに違いない。
 もうひとりの兄逢夜も、姉の千夜もなんだかんだ言いながら憐夜を守る。
 元々はどういう性格だったのか。皆、優しかったに違いない。
 人を殺すことなんて、人に感情なく攻撃することなんて、できなかったはずだ。
 ……あの父親のせいだ。
 あいつがこの世に産まれたから、人生に差が出ている。
 なぜ、この世は幸せな人と不幸な人がいるのか。
 なぜ、平等に幸せになれないのか。
 憐夜は涙を拭い、山のふもとで立ち止まった。
 「私はこれから……自由を掴めるだろうか?」
 夕日が沈む。
 眩しい橙の光は憐夜の気持ちを救うことはなく、沈んでいく。
 ……明日の朝、野菜を米と交換して更夜の元へ帰るか、このまま米を財産として持ったまま逃げるか。
 「私を逃がしたお兄様は……どうなるのだろう……」
 憐夜はわかっていない。
 望月の山から出たら『抜け忍』になることを。
 『父』の命令なしに望月一族は山から出られないことを。
 更夜の命令が独断であったことを。
 「……山を出て……絵描きに……」
 憐夜は村近くの道に足をつけた。
 一方で、逢夜は父親に呼び出しを食らっていた。
 灯し油に火をつけただけの暗い部屋で逢夜は父親を前に震えながら正座をしていた。
 「憐夜が山を降りたようだが?」
 「わ、私は……把握していません……」
 「逃げた。更夜が逃がした」
 父、望月凍夜はなぜか愉快に笑っている。彼には『喜』以外の感情と興味しかない。
 「なぜだろう?」
 単純な興味で逢夜に聞く。
 「わ、わかりませぬ……。こ、更夜はどこに?」
 「あー……どこ置いたかな? 拷問しても何にも吐かないから、そこら辺に」
 凍夜は軽く微笑み、逢夜に再び聞いた。
 「なんで、あいつは憐夜を逃がした?」
 「……憐夜は……」
 逢夜が何かを言おうとした時、凍夜は質問に飽きたのか「まあ、いい」と答えた。
 「じゃあ、お前、憐夜を殺してこい。我々の他一族は抜け忍に対し甘いが、これではいけない。抜け忍はコロセ」
 「あ、あの子はっ……逃げても大した情報を持っていませんので……殺しても……」
 逢夜が憐夜を守ろうとする発言をしたが、凍夜は不気味に笑っていた。
 ゆっくり立ち上がると逢夜についてくるように目配せをする。
 逢夜は震えながら、凍夜についていき、いつもだいたい暴行を受けている別棟の拷問部屋に入れられた。
 ただの小屋のような場所だが、置いてあるものが凶悪な物ばかりだ。
 「私が代わりにすべての罰を受けます……。連帯責任なのはわかっています! 私が……」
 逢夜は更夜、千夜、憐夜すべてをかばう発言をするが、凍夜は笑いながら扉を開けた。
 「……っ!」
 扉を開けた先の暗い部屋に千夜が吊るされていた。
 「お姉さま……」
 「逢夜……憐夜を殺すな……」
 千夜は力なく逢夜に言っていた。
 「連帯責任だが、お前達の管理をしていた千夜は一番罪が重いよな? そこで提案だ。十数えるごとに千夜に何かしらの罰を与える。逢夜が憐夜を殺した段階で千夜を解放しよう。それでいいよな」
 凍夜は陽気に微笑むと庭への扉を開き、木を組んで火をつけ始めた。千夜は火を見て震え始める。
 「では、ここから……数を数えようか」
 「お……お父様……お許しください! お許しください!」
 千夜が珍しく泣き叫び出した。
 逢夜はどうするべきか悩み、過呼吸に近い症状になっていた。
 千夜は幼い頃、父親に焼いた鉄を押し付けられたのがトラウマとなっており、これに一番の恐怖を持っていた。
 逢夜はそれがわかっている。
 「十だ」
 「ギャアアア!」
 千夜の悲鳴が逢夜に届く。
 逢夜は千夜を見ることができず、目を瞑り、耳を塞いだ。
 ……どうしよう、どうしよう……。
 逢夜は葛藤している。
 姉を助けるか、妹を助けるか。
 ……俺はどうしたらいい?
 誰か……誰か……。
 逢夜が動揺しながら目を動かしていると、小屋の端で血まみれで泣いている更夜が視界に入った。
 「……更夜……」
 苦しんでいる姉は逢夜に何かを言っている。
 逢夜は更夜から目をそらし、千夜に目を向けてしまった。
 弱々しい表情で逢夜を見ていた千夜は泣きながら「憐夜を殺さないで……」と必死に言っていた。
 「……十か?」
 感情のない声が聞こえ、千夜の悲鳴が響く。
 「お姉様! ……もうしわけありません……」
 逢夜は耐えられずに走り出しだ。憐夜を殺すことにしたのである。
 「憐夜を殺さないでェ!」
 千夜の叫び声を背に逢夜は怯えながら走った。
 ルナは歪なきょうだいに恐怖を抱いたが、価値観のわからない優しさがあることを感じ取った。
 「こんなの、怖いよ……。怖いよぉ……」
 ルナは震えながら泣いている。
 ナオがルナの肩を優しく抱きながら、なんとも言えない顔をしていた。
 「子供はただ、恐怖に思うだけ。もう、天記神に謝罪し、助けてもらう方が良いのかもしれません……。これは、この小屋に使われている木が見た記憶を天記神が編集し、本にしたのでしょうね。それで、次は……憐夜さん周辺に生えていた木の記憶が……」
 ページが変わり、視点が憐夜に飛ぶ。星が輝きはじめ、夕方と夜が共存している時間帯か。
 時期は夏の終わりのようで、生き残ったヒグラシがむなしく鳴いている。
 憐夜が村に向かって歩いているところへ逢夜が現れた。
 「……! お兄様?」
 「……憐夜。山を降りたら抜け忍になるんだ。抜け忍を望月は許さない。お前は死ぬしかない」
 逢夜は辛そうに顔を歪めて憐夜を見ていた。
 「……そうですよね。あんな好意、あるわけない。邪魔な私を殺したかったんですね。おかしいとは思っていました」
 憐夜は淡々と言い、逢夜に米を差し出した。
 「いりません、これ」
 「……米? 更夜が持ち出したのか……ばか野郎……」
 「私は死ぬしかない。なんだろ? この運命。私、産まれても産まれなくても良かったじゃない」
 憐夜は空を仰ぎ、涙を堪えて笑った。
 「なんだったんだ、この人生。こんな人生なら、産まれたくなかった。『存在』したくなかった。消えてしまいたい……」
 憐夜の言葉は逢夜に刺さる。
 逢夜は憐夜の生を否定できなかった。妹が産まれてすごく愛おしかった。更夜は影で妹をかわいがり、千夜は妹を抱きかかえて優しく微笑んでいたこともある。
 産まれてこなければ良かったなんて思ってほしくなかった。
 壊れてしまったきょうだい。
 いつしか、妹を『生かす』ことしか考えられなくなった。
 逢夜はそっと小刀を出す。
 空を見上げる憐夜の首目掛けてすばやく小刀を振り下ろした。
 大量の血が辺りに散らばる。
 憐夜はゆっくり倒れた。
 憐夜は最期の力を振り絞り、自身の血を使い、指で馬の親子を描いていた。
 仲良しに見える馬の親子。
 「きゅ、急所を外した……」
 逢夜は震えながら憐夜の首にもう一度、刃物を突き立てトドメを刺した……。
 「うっ……うう……」
 逢夜は茂みに嘔吐する。
 「……ゲホゲホ……もう嫌だ……」
 星が輝く夜空の下、秋の虫が鳴き始め、逢夜は座り込み声を上げて泣く。
 「俺は……俺達は誰も欠けないはずだった……。お前は裏切り者だ!」
 冷たくなった憐夜を抱き、逢夜は歯を食い縛りながら歩き出す。
 血溜まりの中に筆が落ちていた。
 「こんなもののために、望月家を裏切るなんて……。お姉様と更夜を助けないと……殺した証明を持っていかないと……」
 逢夜は涙を流しながら、千夜の元へと向かった。
 ルナは何にもできなかった。
 ただ、怖くてナオにすがる。
 「怖い……怖い……」
 「……子供が見る記憶ではありませんからね……。ですが、これは事実。憐夜さんはこうやって亡くなりました」
 「なんで憐夜はこんな酷いことされていたの? 理不尽だ! ルナはなんでこんな生活をしている人がいるのかわからない! 誰も助けてくれないなんておかしい!」
 ルナは泣きながら怒りの感情で叫んだ。
 「そうだね、こんな運命の人もいるの。納得できないでしょ? 幸せに何の不自由なく生きている人もいる。なぜ、こんなに差があるんだろうって。こんな世界、おかしいよねって」
 ルナとナオの後ろに暗い顔の憐夜が立っていた。
 「私はね、この村への道に『世界を恨む気持ち』を置いてきてしまって、それが具現化して怨念になってしまった」
 憐夜は自分が死んだ場所を指差した。次の日、絵描きのおじいさんが山道へ入ろうとこの道を通り、血溜まりと筆を見つける。
 血溜まりの上に馬の親子が描いてあった。
 自分が教えた馬の描き方。
 自分があげた筆。
 おじいさんはあの少女が殺されてしまったことに気がついた。
 死体がなかった。
 おじいさんは彼女が虐待をされ、山に囲われていることに気がついていた。
 「……いい子だったのにな……」
 おじいさんは血にまみれた筆を持ち上げ、優しく抱きしめ、泣いた。
 その後、この道を通る人に災いがふりかかるようになった。
 怪我をする人も現れた。
 被害にあった人々が口々に言うのは幼い銀髪の女の子の霊が膝を抱えて泣いているのを見たと。
 おじいさんと村人達はあの少女の霊が深い悲しみの感情をここに残したまま亡くなったことを知り、災いが起きないようにと近くに神社を建て、手を合わせた。
 その神社は芸術の神様がいらっしゃることになり、時が経つにつれ、芸術神の神社として村の名所となった。
 そしてライが産まれた。
 芸術神の神社と言うことで、願い事は芸術のことばかり。
 ここ、夢見神社は芸術関係の願い事をすると、夢の世界で閃きへのヒントを教えてくれると有名な神社となった。
 しばらく時間が経ち……ライの目の前を暗い顔をした三人の親子が通りすぎる。
 銀髪の青年、青年に寄り添う少女、そして小さな女の子。
 「更夜様、大丈夫ですか?」
 少女が青年に声をかける。
 「大丈夫だ。凍夜に娘を望月にしてもらうよう、交渉もできたらしてみる……。大丈夫だ。守る」
 ライは心配そうに三人の親子をうかがっていた。
 しばらくして、帰ってきたのは青年一人。
 青年は神社の社を仰ぎ、せつなげな表情で吐き捨てるように言った。
 「神様は、いない」
 青年、望月更夜は目を伏せると、静かに去っていった。
 「……いるよ? ここに。あなたに幸福がおとずれますように」
 ライは届かない声で不思議そうにつぶやいた。
 時間が経つにつれ、村は町になり、夢見神社は芸術の神の神社として大きくなる。
 夏祭り、例大祭、おみこし、正月など様々な行事で賑やかになった。
 絵が好きな子供達が七五三のために訪れたり、イラストレーターの学校に入りたい人が願いにきたり、アニメーター、映画作家、画家など様々なクリエイターがゲン担ぎにきたりなど、かなり有名になった。プロジェクションマッピングなども受け入れている神社で、お祭り開催中はかなり賑わっていて、テレビ中継もしている。
 そんな変わってしまった神社だが、ライは変わらなかった。
 ずっと自分の産みの親、憐夜の悲しみ、想いを心にライは幸せを願い続けていた。
 
 「おしまい」

(2020〜)SF和風ファンタジー日本神話「TOKIの世界譚」Where stories live. Discover now