「栄優(えいゆう)さん……、栄優さん……」
弐(精神、霊魂の世界)にある神々の図書館内。
ある時神と「同じ顔」の男が本を片手に閲覧席で眠ってしまっていた。
「栄優さん……お疲れなのですね」
この図書館の館長、天記神(あめのしるしのかみ)は優しく笑う。
天記神は中身は女性だが体は男性である。物腰の柔らかい、優しい青年だ。
「歴史神になってまだ、日が浅い……真実に気づき、時神について調べ始めましたか。あなたはまだ知らないでしょうが、双子だったために生き別れた弟がいるのですよ。当時の双子は嫌われてましたからね……。私は伝えませんよ。自分で知った方がいい。眠っていると……子供みたい……」
天記神は毛布を栄優にかけてやる。栄優は幼さがわずかに残る顔で眠っていた。
「彼は亡くなってから神になった。若くして亡くなった。十八だったのよね……。大変だったわね。同時期に栄次さんが時神に……。栄優さんの家系は初めから神格化していた、人間の皮を被った藤原氏だったのかもね」
天記神は栄優の頭を優しく撫でると立ち上がり、テレパシー電話を始めた。
「……ムスビさん、ナオさん、時神が新たに増えています。神力の確認に向かってくださいませ。え? ナオさんが寝ている? 起こしなさい! 真っ昼間で歴史書店が開店してるはずでしょう! 店長が寝ててどうするの! ……全くもう……」
※※
サヨはルナを連れてお墓参りに来ていた。
「ほら、ここが先祖様のお墓。で、ルナの片割れの双子の子がここにいる」
サヨは夕焼けで橙に染まる山々を眺め、流れていく桜の花びらを手にとる。
「桜ももう終わりだね」
「……お姉ちゃん……」
ルナは不安げにサヨを見上げた。
「なに?」
「小学校って楽しい……かな?」
「まあ、幼稚園とは違うけど、あたしは楽しかったよ! こないだピカピカのピンクのランドセル、買ってもらってたじゃん。脇に宝石みたいなキラキラついてるやつ!」
サヨは優しく笑う。夕日に照らされたサヨの顔は新しい気持ちで輝いていた。
しかし、ルナの表情は暗い。
「おともだち、できるかな。ルナ……おともだちに話しかけられるかな……」
「そんなこと考えたってしょうがないじゃん? 大丈夫だよ、たぶん。ほら、ママとパパとお兄が待ってる行こ!」
「……うん」
……あのね、お姉ちゃん……。
ルナは幼稚園の時に、友達ができなかったの。
ねぇ、お姉ちゃん……
聞いてほしいの。
ルナは言葉を発することなく、言葉を飲み込んでしまった。
ルナはお墓をちらりと見ると軽く頭を下げてサヨを追った。
桜の季節が終わり、新一年生のルナは伏し目がちに学校へ向かっていた。新しいピンクのランドセルはお気にいり。
ルナが知ったことではないが、昔は赤や黒、青あたりが主流だったらしい。今は様々な色のランドセルがある。
朝は姉のサヨと通学している。
兄の俊也はいつも忙しそうなため、一緒には行っていない。
「もうあついねー! 葉っぱも緑になったじゃん」
サヨはいつも陽気にルナに話しかけてくる。ルナは姉のようになりたいとも思うが、あこがれのままだった。
新学期が始まってそろそろ二週間。ルナは友達との話し方がわからなかった。それによりすでにクラスから孤立していた。
もう見えない友達の輪ができている。ルナはその友達の結束を深めるための餌食になっていることに気づいていない。
故に、話しかけようとしてしまう。
……ルナはいつも無視されちゃうの。皆、ルナのこと、きらいなのかな。
はじめはそう思っていた。
「あ、ルナ、学校着いたよ! あれ? 大丈夫? ねぇねの話聞いてる? 寝ぼけてる?」
「あ……だ、大丈夫だよ。お姉ちゃん……! ごめんなさい」
ルナは小さくあやまると笑顔でサヨと別れた。
「……最近、なんか変だな……」
サヨは慌てて走り去る小さな背中を眉を寄せて眺めていた。
ルナはいじめにあっていた。
子供達は自衛のため、おもしろ半分のため、仲間を取られたくないため、様々な思いを抱え、ルナを仲間外れにする。
ルナは元々内気な性格だ。
何をされても軽く笑ったまま、言い返さない。
子供にとっては良き標的であり、返す言葉が遅いルナにいらついていた。
女の子達はからかい、無視を始め、男の子は女の子に合わせてか、手が出始める子が現れる。
「どいてー、ジャマジャマ!」
男の子がルナを突き飛ばす。
ルナは尻餅をつき、座っていた女の子の足に頭をぶつけた。
「え、やなんだけど。足に当たった」
「うわっ、かわいそ~、大丈夫?」
別の女の子が心配したのはルナではなく、ルナの頭が足に当たった女の子。
「ご、ごめん……ね」
ルナは慌てて立ち上がり、自分の机に座った。机には汚い落書きがしてある。新しくもらったルナの大事な鉛筆はすべてシンが折れており、机はその鉛筆でグルグルと塗りたぐられていた。
消しゴムがない。
ルナは筆箱の中を探す。
鉛筆削りもなくなっていた。
……ママに買ってもらった消しゴムと鉛筆と鉛筆削り。
「あ~、ごめんね! ちょっと踏んじゃってさ。あんなとこに落ちてんだもん」
女の子から消しゴムが返された。乱雑にちぎられて返ってきた。
女の子が指差した方を見ると、廊下にランドセルの中身ごとぶちまけられていた。
鉛筆削りは見つからない。
ルナは目に涙を浮かべた。
……パパに買ってもらったランドセル。
ルナは立ち上がって廊下に出てランドセルの中身をしまう。
ランドセルは傷つけられてなかった。子供は範囲をわかっている。ランドセルをやるとマズイこと、そこまではできないことがわかっている。
中身をしまっていると男の子がランドセルを蹴り飛ばしてきた。
「邪魔なんだけど。廊下の真ん中!」
「あ、ご、ごめん……ね」
ルナはずっとあやまっている。
なんで皆、ルナに冷たいのか。
ルナはまだ、理解できないでいる。皆の結束を高めるためにルナが使われていることを。
※※
ルナは帰り道を暗い顔で歩く。
本当はママが迎えにくるはずだった。でも、ルナはママに会いたくなかった。友達と校庭で遊んでから帰ると嘘をつき、ママに遅くきてもらおうとする。
友達はいないので、この嘘はとても寂しい気持ちになった。
しかし、今はスマートフォンで子供の登下校が管理されているため、ママはすぐに気がつくはずである。
「ママ、迎えにきちゃうよね……。ママ、ごめんなさい」
ルナはさみしい気持ちを抱えつつ、駄菓子屋の前を通りすぎる。駄菓子屋の中に和服を来たおサムライさんがいた。駄菓子屋のおばあちゃんとお話をしている。
一年生の帰りは早い。
お昼頃だ。
ルナは駄菓子屋のアイスが入っているケースの前で中をうかがう。
おサムライさんが気がつき、鋭い目でルナを見てきた。
おサムライさんが怖かったルナは涙目になり、入り口で固まっていた。
「あ、すまぬ。睨んでいるわけではないのだ。俺はこういう顔で……。な、泣かないでくれ……」
「……ごめんなさい」
ルナはあやまってばかりだ。
とりあえず、よくわからないが毎回自分が悪いのだ。
そう思ってしまっている。
「……お嬢ちゃん、何か買うのかい? ヒモ引きアメ、タダにしてあげるよ」
駄菓子屋のおばあちゃんがそう言うので、ルナはヒモを引いてアメをもらった。
「えー……お嬢さんは俺達の家の隣に住んでいた子だな。母上はおらぬのか? 学舎(まなびや)の帰りだろう?」
「まな……? おとなりさんですか?」
「そうだ」
おサムライさんは優しく笑いかけてきた。
「……そうですか。ママは……その」
「嘘をついたのか。悪い子だな。母上を困らせてはいかぬ」
おサムライさんはルナに目線を合わせて、しゃがみ、さらに言う。
「すべてはお前のせいではない。お前は何も悪くない」
おサムライさんの言葉にルナは突然に悲しくなった。
どうして皆と同じようになれないのか。どうして皆の輪に入れてもらえないのか。
……かなしい。
学校ではいつもひとりだ。
「かわいそうに。家族にお話しようか。心細いだろう。ルナ」
「え……」
おサムライさんはなぜか事情も名前も知っていた。なんだか怖くなったルナはおサムライさんに何も言うことなく、走り去った。
「ああ……待ってくれ!」
おサムライさんは困惑しつつ、去っていくルナを見つめていた。
「栄次さん、ちょっと突っ込みすぎですよ」
駄菓子屋のおばあちゃんがそう言い、おサムライさん……栄次は眉を寄せた。
「うむ……難しい……。店主さん、今日はこちらを……」
栄次はケースに入っている醤油ぬれせんを二枚取ると、おばあちゃんに支払いをした。
「はい、毎度。あの子はちょっと難しいですよねぇ。心配です」
「はい。本当に……」
栄次は頭を下げると駄菓子屋の外に出た。もうなんだか暑い。
梅雨前だというのに、夏のようだ。
「怖がらせてしまった……。向こうのルナと違いすぎて、対応が難しいな……。顔はそっくりなのだが……」
栄次が家への坂道を歩いている途中、たまたま学校が早帰りだったサヨと母親のユリが慌てて道を駆け上がっていた。
「ああ、サヨ!」
栄次が声をかけ、サヨが立ち止まる。
「あ、ラッキー! おサムライさん、ルナがとっくに学校出ていったみたいなの! ママが間に合わなくて、家に帰ったのかな?」
「ああ、今、坂を登って行った。……あのな、ルナは……」
栄次が最後まで言い終わる前にサヨが言葉をかぶせる。
「いじめにあってる、でしょ」
「ああ、そのようだ。あの子は隠そうとしている」
「いじめ……」
母のユリは悲しそうに目を伏せた。
「あの子は自分の意見がなかなか言えない。……だからおそらく、いじめのことは言わない。ユリさん、どうなさいますか」
「見守っていてはいけませんよね」
栄次の問いにユリは一言だけ答え、頭を下げるとルナを追っていった。
「ねぇ、マシュマロ、駄菓子屋でおごってくれない?」
サヨが栄次に手を合わせ、栄次はため息混じりに頷いた。
「……買ってやっても良いが……更夜に怒られないよう少しずつ食べるのだぞ……。俺も一緒に叱られてしまう」
「いっきには食べないよ! あっちのルナが過去見したら全部バレちゃうしね。こっちのルナと一緒に食べるからさ」
「ならよい」
栄次はサヨの手に三百円をのせた。
「え、こんなにしないよ? マシュマロ」
「ふぁみりーぱっく……とやらを買いなさい。兄者もいるのだろう?」
「おにぃの? ありがとう!」
駄菓子屋に入っていくサヨを眺めてから、栄次は家へと歩きだした。
「遊べる友が……できると良いな。ルナ……」
「おじいちゃん! お腹空いた! おじいちゃん!」
ルナは銀髪メガネの着物の青年、更夜に叫ぶ。
「待て! 今作っている! ポテトチップスだろ! 今揚げてるだろうが! みてわからないのか!」
更夜はジャガイモを薄く切り、慌てて揚げ物鍋で揚げている。
「ポテチィ!」
「座っていろ! 近づくと油がはねる!」
「おじいちゃん! ジュースはリンゴがいいー!」
「わかった、わかった!」
更夜がルナをなだめ、リンゴジュースを横で注ぐ。
「おじいちゃん! 夕飯なにー?」
「夕飯? ああ、えー……ジャガイモの味噌汁と……」
「やったああ! ジャガイモだあ!」
「あのな、少しは落ち着け」
更夜が揚げたジャガイモを皿に盛り、子供用コップに入れたリンゴジュースをルナの前に置く。
「わあああい! いただきまーす!」
「待て! 揚げたてだ! ゆっくり食べなさい!」
「あちち……」
更夜の言葉が間に合わず、ルナは指に息を吹きかける。
「だから言ったんだ……。ほら、やけどしてしまう。とりあえず、冷たいハンカチだ。指を押さえて……」
「おいしー!」
ルナは関係なくポテトチップスを食べ始めた。怪我はしていなかったようだ。
「ふぅ……疲れた……」
更夜はルナの向かい側に座り、天井を見上げる。
「……疲れた。夕飯まで時間がある……。あいつらんとこに預けるか……。それより、スズはどこ行った?」
「こうやー!」
どこかでルナとは違う少女の声が聞こえた。更夜を何故か呼んでいる。
「なんだ……。どこにいるんだ、まず! スズ!」
「降りらんなくなっちゃった!」
スズと呼ばれた少女は今にも泣きそうな声で更夜を呼んでいる。
「んん? 上から聞こえるな……。どこにいる!」
「屋根の上!」
「なんでそんなとこにいるんだ……」
更夜は頭を抱えつつ、縁側から庭に出て、屋根を仰ぐ。
涙と鼻水を垂らした黒い髪の少女が困惑しながらこちらを見ていた。
「困惑なのはこちら側なのだが」
横を見るとハシゴが落ちていた。かけたハシゴが落ちて降りられなくなったらしい。
彼女は忍だが、高さが高いと降りられないようだ。
「はあ……」
更夜は飛び上がって屋根に手をかけるとそのまま指の力だけで屋根の上へ登り、あきれた顔でスズの方へ歩いた。
「屋根は登るところじゃないぞ。危ないだろうが」
「屋根の上から景色を見てるテレビがやってて、やりたくなってやってみたら、降りられなくなっちゃったの~!」
「やりたいなら、俺を呼べ」
更夜はスズを抱きかかえると、軽々と屋根から飛び降りた。
更夜は凄腕の忍であり、身体能力が異常だ。
「うう……」
「もう泣くな。大丈夫だっただろう? 珍しく怖がってるな……」
「だって、私の上をウィングついた変な子が飛び回ってんだもん。あの子、前に見たことあるんだけど」
「ん?」
スズの言葉に更夜は眉を寄せる。
「上見て、たまに来るから」
更夜が空を仰いだ刹那、足にウィングをつけた橙の髪の少年が困惑した表情のまま、空に浮いていた。袖無しのユニフォームのような服を着こんだ少年である。
「……あいつは……」
更夜は栄次を救った少し前の事件、『栄次のループ事件』を思い出す。栄次がおかしくなった時に、栄次を壊そうと『破壊の時神』として現れた神だ。
感情なく栄次を襲っていたが、突然に感情を取り戻し、せつなげにアヤを見て去っていった。
あの少年である。
「……会話はできるか?」
更夜が話しかけると、少年はさらに動揺しながら口を開いた。
「う、うん……ぼ、僕はその……」
「会話ができるようだな。降りてこい」
更夜が声をかけると少年は逃げずにゆっくり降りてきた。
「お前、名は?」
「あ、あの、トケイ……だと思います」
「だと思いますとはなんだ? 自分の名も言えんのか? しっかりしろ!」
更夜が強めに言い放ち、トケイと名乗った少年は怯え、震える。
「ごめんなさい……。自分が何をしていたのかも、何にも思い出せなくて……思い出そうと飛び回っていたんですが、わかんなくて、それでここに……」
「……ああ、そうだったのか。じゃあ、入れ。腹は減っているか? ポテトチップスを作っている。スズ……この子もこれからおやつなんだ」
更夜がスズの頭を優しく撫で言った。
「いいんですか! あ、ありがとう……ございます」
トケイは更夜の言葉に涙を浮かべた。
「大丈夫か?」
「……すみません。こんなに……家族みたいに迎えられたことが、初めてで……」
いぶかしげに見ていた更夜にトケイは優しげな顔で笑った。
「……お前も時神なんだろ? 色々、大変だったんだな」
更夜はトケイを家に上げた。
「お前、いくつなんだ」
「十六歳になったばっかり……だったと思います……曖昧です」
「そうか」
更夜は小さく頷くと、スズとトケイを連れ、廊下を歩き始めた。
ルナは泣いていた。
あれからしばらく経っても友達ができない。いつまでもできない。むしろ、関係が悪化している。今日は校庭で突き飛ばされて膝を擦りむいた。
ママが何かを言ったのか、先生がいれば助けてくれるようになったが、登下校は関係がない。
授業中も隠れてやることにスリルを感じ始めたのか、見つからないように何かをやってくる。
ママに転んだと嘘をつき、絆創膏を貼ってもらって、布団に入った。
……明日……行きたくないなあ。
そんなことを思いながら布団に横になる。
気疲れていたルナはそのまま眠ってしまった。
「はっ!」
しかし、すぐに目覚めた。
「え……?」
目覚めた先は布団の中ではなかった。
「どこ……」
白い花が沢山咲いている世界の真ん中にルナは大の字で倒れていた。
「ねー、大丈夫? うわっ! ルナと同じ顔! まさか! あっちのルナ!」
ルナと同じ顔の少女がルナを覗き込んでいた。自分とは真逆そうな少女。
自分と同じ顔をしている少女が全然違う言葉を発している。
奇妙な感覚にもなる。
「え、えーと……」
「ああ、ルナだよ! 正義のヒーロー! ルナだー! ルナでしょ?」
少女は自己紹介をした後、ルナにルナか尋ねた。
「え、うん。ルナ……です。あなたもルナ……?」
自分とは真逆の友達が多そうな元気いっぱいの少女。
「ルナだよ! そう言ってるじゃーん! あそぼ!」
少女は自分とは全く違う笑顔を見せ、いたずらっ子のように笑う。
「え……ルナと遊んで……くれるの?」
「ん? どういうこと? あそぼ!」
少女はルナの手を引き、白い花畑で楽しそうに走り始めた。
「えっと……待って……」
ルナは少女を追いかけ走る。
そのうちに楽しくなってきた。
ルナは初めて楽しい気持ちを覚え、夢なら覚めないでほしいと願った……。
※※
気がつくと一緒に遊んだルナがいなくなっていた。
自分とは真逆の内気な少女。
「あーあー。いなくなっちゃったー」
ルナはつまらなそうに言うと更夜がいる屋敷に帰っていく。
ふと、あの子に興味を持った。
「過去とか未来とか見ちゃお!」
ルナは彼女の過去を見る。
ルナが産まれるところからスタートした。
「……あれ……?」
母親と思われる女性、父親だと思われる男性が寄り添い、二人の赤ちゃんを抱いていた。
ただ、嬉しそうではなく、二人で悲しげに涙を流していた。
見たことない人、おそらくサヨの兄と、隣にいたサヨも暗い顔をしている。
「生まれてうれしくないのかな」
ルナは不安になった。
片方の赤ちゃんが看護師におくるみで包まれ、もうひとりの赤ちゃんもおくるみで包まれた。
二人目の赤ちゃんは看護師さんの顔が暗い。
ひとりの赤ちゃんが母親に返された。動いている、泣いている。
もうひとりは全く動いてなかった。まるで人形のようだ。
「……ルナだ……」
動かない方の赤ちゃんを見て、すぐに自分だと気がついた。
少しせつなくなる。
母親だと思われる女が動かないの方の赤ちゃんを抱いて「生まれてきてくれてありがとう」と泣いていた。
「……ママ……」
ルナは初めて見る母の顔をせつなげにみていた。
そのままルナは父だと思われる男性へ渡り、サヨへ渡り、兄の俊也へ渡った。
「まだ、生きてるみたいだね……。あたたかい」
「……ママの体温が残ってるんだよ……お兄」
「わかってるさ」
記憶は生きている方のルナへ行く。ルナの過去見はあちら側のルナだ。
自分じゃない。
ルナは内気な性格のようだ。
言葉が遅く、お友達とうまく遊べない。引っ張っていく性格ではないため、いつも取り残されている。
「お友達になろうって言えばいいのに」
ルナはあちら側のルナがわからない。双子らしいが、性格が違いすぎる。
「いじめられてる……ひどい……」
ルナは怒りを爆発させた。
「あいつら、やっつけてやる」
ルナは過去見を終わらせ、更夜の元へ走った。
自分の両親のこと、双子の姉がいじめられていたこと、それらが悲しみの感情、せつなさの感情、怒りの感情に変わる。
「おじいちゃん……!」
「ルナ?」
更夜は走ってきたルナをとりあえず受け止めた。
「どうした?」
「わかんないっ!」
感情がよくわからくなっていたルナは更夜に泣きついていた。
「わかんないよ……おじいちゃん」
「そうか。わからないのか。じゃあ、こうだな」
更夜はルナを抱きかかえると、優しく背中を撫でてやった。
「よしよし……ルナ、俺はお前の味方だぞ」
「……おじいちゃん、ありがとう」
ルナの感情が不安定だ。
本当の家族のことを知ったのか?
更夜は過去見ができる栄次に相談することに決めた。
「……こちら側にいる人間のルナがいじめられているようだ」
栄次とテレパシー電話をしている更夜は頭を抱えた。
神力データを送り、電話のように頭で会話できる。
「いじめ?」
「ああ。少年らには暴力を振るわれ、少女には無視をされ、嫌な言葉をかけられているらしい。アヤとリカがルナと仲良くなって友達になったようだが、場所が学校だからな。ひとりの時間ができてしまう。先生の目を抜けていくようだ。小学校にあがり、生徒達がどうも不安定で悪化している」
「……なんだと。かわいそうに。男のガキが無害な女の子に攻撃してんのか。世界が終わりだな」
更夜は荒々しく言いはなった。
「更夜、まだ子供だ。男児は上手いやり方がわからないのだ。故に手が出る。男女の感覚ではない。女子が支配的な組なのかもしれぬ。それは子供の心、わからぬ」
栄次はおだやかだ。ただ、ルナを心配している。
「俺はわからねぇな。俺がクラスにいたら、やつらをぶん殴ってたかもな」
「落ち着け、更夜。感情が乱れている」
「ああ、わかった。落ち着く。ありがとな、栄次。で、お前らは何にもできないもんな。見守るのか?」
更夜は感情のコントロールをし、落ち着くと冷静に栄次に尋ねた。
「見守る。俺達は神だ。見守ることしかできぬ」
「……ああ、しょうがねぇよな」
更夜はため息混じりにそう言った。更夜の話が気になったトケイやスズがこちらを覗いている。
そこで更夜は思い出したように続けた。
「ああ、うちにな、お前を攻撃していた『破壊の時神』が感情を取り戻し、やってきたぞ。うちに居候している。スズとルナのめんどうをよく見ている、十六の少年だ」
「なんだと……」
「監視はしている。今のところ、大丈夫だ。優しい少年だぞ。とりあえず、プラズマに話を持っていけ。今後、話を深く聞く予定だ」
「わかった」
「会話はそれだけだ。切るぞ」
「ああ、では、また」
更夜は栄次との会話を切り、立ち上がる。
「あ、あの……更夜、僕はどうなるの?」
トケイが不安げに尋ね、更夜はトケイの頭を軽く撫でると、「心配すんな」と一言言った。
「そうだ、更夜、今、スズちゃんと話してたんだけど、ルナが見当たらないんだ。探しに行った方がいい?」
「ルナがいない?」
トケイの発言に更夜が眉を寄せ、スズが答える。
「どこにもいないの。もうすぐ夕飯の時間だけど、ルナが帰ってきてない。一緒にアニメ観る予定だったんだけどさ」
「確かに、いつもお前と子供番組を観ている時間だな。……サヨが何にも言ってきてないから、現世にもいないか。トケイはスズを頼む。飯はもうできてるから、二人で食べていてくれ。俺はルナを探しに行く」
「待って、更夜! 僕が探しに行くよ! 更夜はこの『心の持ち主』の世界にいた方がいいんじゃ……」
「大丈夫だ。いる場所はわかる。ルナの世界に行ってくる」
更夜は顔を引き締め、トケイとスズを残し、廊下へ出ていった。
※※
「ルナちゃん、これもかわいいね」
橙の三つ編みの少女、リカはルナを家に招き、オモチャのネックレスを首にかけて、ファッションごっこをしていた。
「そ、そうかな……ありがとう……」
「こっちも似合いそうだね!」
リカはトマトモチーフの髪飾りをルナにつけてやる。
「わあ……これ、かわいい……」
「ルナちゃんはかわいいから、なんでも似合うよ!」
「ありがとう……リカお姉ちゃん」
ルナは顔を赤くして微笑んだ。
「ロールケーキ、食べる? おやつにしましょ」
茶色の短い髪の少女、アヤが青いスカートを揺らしながら、ロールケーキを持ってきた。
お盆にロールケーキとお皿とフォーク、コップを乗せている。
「わあ! アヤお姉ちゃん、ありがとう! おいしそうだね……」
「元気出て良かったわ。もうだいぶん暑いから冷たい飲み物にするわね」
アヤはルナにりんごジュース、リカにトマトジュースを渡し、自分は冷やした紅茶をコップに入れる。続いてロールケーキを切り分けると、それぞれお皿に配った。
「フルーツ入ってる!」
「そう、有名なケーキ屋さんのロールケーキよ。並んで買ってきたの。新作は毎回楽しみよね」
「ほら、ルナちゃん、どうぞ」
「ありがとう! お姉ちゃん!」
リカは笑顔でルナにロールケーキを渡す。
アヤはおいしそうに食べるルナを優しげに見つめた。
……いじめが彼女の心を変えてしまいませんように。
「勉強なら、私が教えてあげるわ。しばらく、学校をお休みしても……」
アヤがそうつぶやき、ルナは目を伏せる。
「ルナは……同い年のおともだちがほしい……」
「そ、そうよね。ごめんなさい」
「……お姉ちゃん、ごめんなさい。お姉ちゃん達も大好きだよ……」
「イイコだね、ルナちゃんは……」
リカは優しくルナの頭を撫でた。
ルナは自分の心の世界に過去見で見た、いじめっこ達を呼ぶ。
満月がやたらと大きい草原の世界。
「全員、やっつけてやる!」
ルナの世界に呼ばれた少年、少女達は戸惑い、不安げな顔を向けた。生きている魂が「弐の世界」に来たので、これは夢を見ている処理となる。
「ルナの世界に皆来たな」
「な、何? ここ。なんで皆いるの? てか……コイツ……ルナ?」
口の悪い少女がルナを下げずんだ目で見る。
皆、それぞれに動揺しているが、ルナにたいしては何も思ってはいないようだ。攻撃的な雰囲気の子は一部である。
まわりに合わせてルナをいじめていた子がほとんどということだ。
「ルナは許さない! あっちのルナが泣いていた!」
ルナは少年に殴りかかった。
「お前はルナのランドセルを蹴ったやつだ。蹴り飛ばしてやる!」
「なにすんだよ!」
ルナは多人数と喧嘩を始めた。
「全員ぶっ飛ばしてやる」
ルナの瞳が更夜の目付きに似る。更夜の荒々しい雰囲気をルナはそのまま受け継いでいるようだ。
「ルナは喧嘩、強い!」
反撃され、殴られるが関係なしに殴り返す。女の子を投げ飛ばし、男の子を蹴り飛ばし、笑う。
「弱いねー。くそがきども。こんなの痛くないよ? ルナのが痛かったんだよ!」
倒れて腹を押さえている少年の背中を思い切り踏み潰し、女の子の顔を蹴り飛ばし、泣き叫ぶ女の子の髪の毛を引っ張り、怯えている男の子の顔面を拳で振り抜く。
「何、泣いてんだよ。てめぇら……。ルナは許さねぇぞ! 全員、ルナにあやまらせてやる」
怪我をした男の子の胸ぐらを掴み、叩きつける。
ルナは血にまみれたまま、不気味に笑っていた。怒りを通り越した笑みだ。
更夜が見せるあの気性の荒さである。
「ハハハ! そんな弱さでルナをいじめてたの? ありえないんだけど? 中途半端にやんなよ。中途半端な気持ちで人をいじめんなよ。てめぇら、最低なんだよ! 怒りがおさまらない……。全員、殺してやろうか……」
月夜に照らされ、血にまみれたルナの、にやけた顔を見た子供達は涙を流し、震え、痛みに呻く。
「……ルナは優しいんだ。そんな優しいルナをお前らは傷つけた。誰も助けてくれないなら、ルナが助けなくちゃね……」
ルナは発散方法が暴力になっていた。これはルナをいじめていた子達と同じだが、ルナは気づいていない。
「もう、皆気絶しちゃったの? つまんないなあ。立ち上がってよ? 起きてよ? 起きろって言ってんだろ!」
ルナの声が反響する。
もう誰も答えない。
誰も立っていない。
「う……うう……」
ルナはその場に座り込み、静かに涙を流した。
「ルナをいじめた! 向こうのルナが泣いていた! いじめたな! 泣かせたな! ルナは許さない! こっちの世界で悪夢を見やがれ! 『ルナ』は絶対許さない……」
……違ったかもしれない。
この方法は違ったかもしれない。身体中が痛い。血が流れていることに気づいてなかった。
「起きろよ! 許してやらないからな!」
ルナは泣く。
ひとり、静かに泣いた。
「だって……ルナが……ルナが……かわいそうだったんだもん……。ルナは……悲しいよ」
満月がルナを照らす。
静かになった草原。
後ろから誰かが歩いてくる足音が聞こえた。
「ルナ……間に合わなかった」
更夜がうずくまるルナの後ろに立っていた。
「おじいちゃん……ごめんなさい。ルナ……わかんなくなっちゃった……」
ルナは振り返らずに近くの草をいじりながら涙を流す。
「気分は晴れたか?」
「……ぜんぜん」
「派手にやったな。現実世界だったら、大変なことになっていたぞ……」
「……おじいちゃん。ルナ、許せなかったんだよ」
ルナは更夜にすがり、大粒の涙をこぼし始める。
「あいつら、ルナをいじめたんだよ……。ママとパパが大事にしてたルナを平気で傷つけた。だから代わりに……」
「ああ、そうだな」
更夜はルナを優しく抱きしめる。傷ついたルナを見て、更夜も悲しくなったが気持ちを抑える。
「ルナは死んじゃったから……パパとママに会えないんだね……。ルナが見えないのはルナが死んでたからだったんだ。ルナが産まれた時、皆泣いてた。なんでルナは死んじゃったんだろう……」
「……」
更夜はルナの言葉に何も言えなかった。
ただ、抱きしめた。
ルナの気持ちは伝わる。
だが、更夜は何も言ってやれない。本当の親がいること、親には会えないこと、理解はできても、納得はしない。
更夜はルナを大事に育ててきた。だが、本当の親にはかなわない。わかっている。
「ルナ……、……他人を心に呼ぶことはもちろん、他人の心の世界に入るのはいけないんだ。ここはあちらのルナの心……。お前は暴れてはいけなかった」
「……」
ルナは黙って聞いていた。
「向こうのルナが……どうするかは本人と『運命』だ。神は見守るしかできない」
少し離れて更夜の言葉を聞いていた赤髪の青年、プラズマは目を伏せ、黙ったまま二人を見据えた。
「……ルナ、お前が助けられるわけじゃないんだよ」
更夜は柔らかくルナに言う。
ルナは鼻血と鼻水が混ざったものをすすりながら、更夜にすがって泣いた。
「うわあああ! ルナはっ! だってルナが! ルナはぁっ!」
「……大丈夫だ。ルナ……落ち着きなさい」
更夜が落ち着かせようとしたが、ルナの神力が暴走を始めた。
「ルナ……落ち着きなさい」
更夜がなだめるが、ルナは気持ちの落ち着かせ方がわからない。
子供らしく叫ぶように泣いている。
「ルナ……」
プラズマが間に入り、ルナの頭に手を置き、神力を流した。
しかし、ルナは時空を歪ませ、更夜とプラズマは慌ててルナの神力を抑え込んだ。
「おじいちゃん!」
サヨのテレパシー電話が耳に響く。更夜はプラズマを連れてから、サヨにこの世界へ入れてもらった。
サヨの焦った声で更夜とプラズマは青い顔になる。
「あのね! アヤがっ! アヤが六歳くらいになっちゃった!」
「どういうことだ!」
更夜の声が静かな世界に反響していった。