凍夜はずっと笑っている。
状況が優勢だろうが、劣勢だろうが、笑っている。
本当に人間の感情が欠損しているらしい。
サヨ、千夜の旦那の夢夜、そして逢夜は連携して凍夜のマガツヒを削いでいく。
「はあはあ……削いでもマガツヒをどうすればいいかわからない」
サヨがイツノオハバリを構えながら息を吐く。
「サヨ、無理はするなよ。突っ込むな」
逢夜が注意し、夢夜が凍夜の攻撃を受け止める。
凍夜は楽しそうに刀を振り、異様な雰囲気のまま、夢夜を斬り殺そうとしていた。
「……あの人、本当になんか、怖い」
サヨがつぶやき、イツノオハバリが光り出す。
一度人間時代に凍夜を倒している夢夜も凍夜が纏うオオマガツヒの神力になかなか勝てず、苦しんでいた。
先程とは違い、復讐衝動、破壊衝動を抑えての戦闘。夢夜には我慢と怒りの感情がのしかかる。
笑っている凍夜へのイラつきを抑えながらマガツヒを削ぐサヨを守っていく。
「ふぅ……」
息を吐き、凍夜が飛ばす手裏剣を刀で弾き、背後にまわり、振り抜いてきた凍夜の刀を前にわずかに足を踏み出しかわす。
夢夜は攻撃をやめていた。
逢夜は夢夜の間合いに入らないよう、計算して凍夜を追い詰め、サヨに凍夜の隙を教える。
逢夜が手裏剣を投げ、凍夜の位置をずらし、夢夜は刀で凍夜を突く。わずかに隙ができ、逢夜がサヨに声をかけた。
「サヨ」
「……イツノオハバリ、削げ!」
サヨが叫び、イツノオハバリの光りが一直線に飛び、凍夜のまわりを舞うマガツヒを引き剥がす。
「まだか……」
逢夜と夢夜は衝動が負に落ちないよう必死だ。いまだにマガツヒを帰すための黄泉が開かない。
「なぜ、まだ黄泉が開かない? マガツヒが凍夜に戻ってしまう」
削がれたマガツヒは集まり、凍夜に入り込もうとしている。
「……凍夜は本当にずっと笑っている」
サヨはイツノオハバリを構え、つぶやく。
「他の感情は本当にないのか?」
サヨはまっすぐ凍夜を見据えた。会話にはならないか。
「ああ、マガツヒが出ていくなあ。お前を先に殺す方が良さそうだな?」
凍夜は笑いながら刀をサヨに向けた。精神状態はやはり異常。
「本当に感情がないのか?」
サヨはマガツヒが少なくなった凍夜を睨み付ける。
凍夜は変わらない。
「そういえば……」
凍夜は相変わらずにやけたまま、口を開いた。
何かを思い出したようだ。
……千夜が帰ってこない。
一緒に息子を育てる予定だったんだ。
千夜はお前の娘だろう?
お前は異常だぞ、愛を知らないのか?
婿養子、夢夜に言われた言葉。
とりあえず、凍夜はそれを口にする。
「千夜が死んだ後、婿養子にも言われた。『愛』とはなんだ? お前を殺そうとした時、興味が出た」
凍夜が初めてサヨに問いかけた。その抜けた質問にサヨは奥歯を噛み締めた。
「今さらかよ……」
サヨは気持ちを抑える。
「望月家を壊して自分勝手に生きて、今さらかよ! 誰もお前を許さない。許してない!」
サヨは凍夜を睨み付けた後、息を吸って気持ちを落ち着かせる。
サヨは恨みを抱いてはいけない。
「あんたは、かわいそうなヤツだ。感情がないなら、辛い気持ちもないし、焦る気持ちもないし、慈悲もない。周りと乖離していることもわからない。自分がかわいそうだとも思えない。あたしがあんたをかわいそうって思う理由も気持ちもわからない」
「そうか」
凍夜は楽しそうに微笑んだ。
「笑うところじゃないんだよ……。でも、愛に興味が出たんだね。……興味か……。それは興味じゃなくて本当は感情なんだよ。愛情は感情……。そこに優しさとか嬉しさとか、辛さとか悲しさとか……そういうのが……」
「そうなのか」
凍夜はわかっていない。
「悲しいな……」
サヨの目から涙がこぼれた。
凍夜が理解をしていないことがたまらなく悲しかった。
「なんでこんな……あたしが悲しいのかな。なんで……あたしが悲しくなるんだろ」
凍夜はなんとも思っていない。
サヨは人間の複雑な感情を感じていた。これはなんだろうか。
むなしさか?
この何と言えばよいかわからない感情は元を辿れば喜怒哀楽のどれかだ。こういうわからない、説明できない感情も人間は頭の中や体で感じる。
だが、この男にはそれがない。
単純な「喜」、それからくる「興味」の二つしかないのだ。
サヨが何かを言おうとした刹那、凍夜の背後に不思議な空間が現れた。小さな島が空に浮いているだけの世界。
その奥に苔むした神社と、どこか懐かしくなるような日本の山。
「……これは?」
サヨが目を見開き、夢夜、逢夜は警戒した。
凍夜は笑いながら振り返り、吸い込まれていくマガツヒをただ眺めている。
「黄泉か?」
サヨが反応するイツノオハバリに目を向けた。
「黄泉が開いた!」
「ああ、ようやく開いたか」
夢夜が声を上げ、逢夜が呆然と立ち尽くす。
「……っ!」
サヨは一瞬だけ、不思議な生物を見た。牙が生えている四つ足の生き物。体は真っ白で顔はいかつい。
「あれは、こまいぬ」
なんだかわからないまま、サヨは言葉を口にする。知ることのなかったデータが電子数字となってサヨの瞳に流れた。
「……こまいぬ……。どうして『今』の神の使いは鶴なの?」
サヨはその言葉をつぶやき、我に返った。
「黄泉が開いた! マガツヒがいなくなる!」
手前にある世界、小さな島が空に浮いてる世界から、長い髪をした若い女が現れ、こちらを見てきた。
「……誰?」
着物を着ていた女は遠くの空に浮かびながら、何もせずに立っている。
「……桃、葡萄(ぶどう)、筍(たけのこ)。イザナギじゃない。不老不死、かぐや姫、桃太郎……鬼。鬼神はだあれ?」
女はそれだけ言うと、消えていった。
「何?」
眉を寄せていた時、マガツヒが黄泉に吸い込まれていた。
サヨの後ろからみーくん(天御柱神)とサキが慌てて走ってくる。
「黄泉が開いたか! ……イザナミ。久々だな……。……なんで久々なのか、よくわかんねぇが。知らねぇはずなんだよ……だが」
みーくんは不思議そうに思いながら、消えた女にそう言った。
「まあ、黄泉が開いたんだから、凍夜を生身にできるじゃないかい!」
サキに言われ、みーくんは頭をかいてから、サヨに目を向ける。
「望月サヨだったか? イツノオハバリで黄泉を閉じる準備をしろ」
みーくんは神力を上げ、マガツヒを黄泉へ押し込み、サキも神力を上げて陽の力を放出した。
「えー、わかった」
サヨはやり方がわからないまま、イツノオハバリを構え、みーくんとサキをうかがう。
マガツヒが全部吸い込まれた段階でみーくんが叫んだ。
「『K』の力で黄泉を閉めろ!」
「えっと、弐の世界、管理者権限システムにアクセス! 『閉じる』!」
サヨはとりあえずそう叫んだ。
すると、イツノオハバリがさらに光り出し、境界線が不明瞭な黄泉の世界を強制的に閉じた。
凍夜は力が消えた後、黄泉が閉じるのを楽しそうに眺めている。
気がつくと凍夜の体が徐々に透けていた。
「……あんたは消えるんだね。弐の世界は後悔とか負の感情を持った者が、魂がきれいになってエネルギーに分解されるまで、存在する世界だ。だけど、あんたは負の感情がない。もう、すぐに消えるはずだったのに、望月家の恨みのせいで消えられず、残っていた。望月家の恨みがマガツヒを呼び、あんたは一時期、神になってたんだ」
「なるほど」
凍夜は楽しそうに笑いながら、一言だけ続けた。
「興味深い」
それだけ言った凍夜はサヨに笑みを向けたまま、電子数字に分解され、消えていった。
「ちくしょう! なんでわかんねぇんだよ! なんでそんな大事なものが、あんたにはないんだ!」
悔しさか、悲しみか、怒りか、よくわからなくなったサヨの叫びが、世界にこだました。
更夜の娘、静夜は母のハルと千夜の息子明夜を連れ、更夜がいる世界へ進む。
俊也はとりあえず大丈夫そうだ。壱の世界の住人は壱の人間が助けてくれるはずだ。霊は夢としての助言しかできない。
まずはサヨに兄を取り戻したことを伝えるのが先か。
三人は更夜がいる世界の上空で立ち止まった。宇宙空間にネガフィルムが絡まっている世界の一つだ。
「……凍夜の力を感じない気がするねぇ……どうなってやがるんだか」
明夜がつぶやき、ハルが答える。
「太陽神の連絡でわかったのですが、望月凍夜は消えたようですね。しかし……」
ハルは不思議な力を感じていた。望月凍夜がいなくなったのに、世界の雰囲気が変わらない。
「……更夜様の神力がかなり不安定です」
「お父様が心配ですね。お母様、行きましょう」
ハルと静夜が話していた時、青い髪のツインテールの少女が三人の少女を連れ、こちらに飛んで来るのが見えた。
「……!」
静夜は青い髪の少女の後ろにいた茶色の髪の少女を見て、息を飲んだ。その少女はハルに似ていた。
「あや!」
静夜が叫び、茶色の髪の少女が怯えながら振り向く。
「あや……よね?」
メグに連れられたアヤは突然に名前を呼ばれ、固まった。
「……え?」
「会えて良かった! こちらの世界にいたのね! もう消えてしまったかと……」
静夜がアヤに近づき、アヤはさらに困惑した。
「わた……私は元々、壱の世界の時神で……」
「……え?」
静夜は不思議そうにアヤを見た。アヤは静夜を困った顔で見つめる。
「この声の響き……もしかして……お母様……」
アヤは何か遠い記憶を思い出そうとしていた。しかし、何も思い出せない。
代わりに赤子を抱いている知らない自分が頭に浮かぶ。
そしてその横には年老いた静夜が微笑んでいた。
「……えど、じだい……海碧丸(かいへきまる)。前の私の……息子」
「……前の? 海ちゃんはあなたの息子で私の孫よ。彼ももう、この弐の世界にはいないでしょうけど、もう一度、会いたいわね」
静夜が言う孫の話はアヤにはわからなかった。そもそもアヤはなぜ、こんな言葉が出たのかの理解もできていない。
……海碧丸って誰よ……。
前の私ってなによ……。
前に立つ銀髪のこの人をなんで母だと思ったのだろうか。
アヤには何にもわからない。
「ねぇねぇ!」
横にいたルナがなんだか騒がしくなってきたので、アヤは世界に入る準備をし、静夜達を見る。
「あなた達、更夜と関係がありそうね? できれば一緒に……」
アヤの発言に静夜は頷く。
「あなたはお祖父(おじい)様を知らないのね。そうよ。更夜様は私のお父様。私の隣にいらっしゃるのはお母様。あなたのお祖母(おばあ)様。そして、更夜様のお姉様の息子様、明夜様よ」
「……そ、そうなの」
アヤが戸惑っていたため、静夜の隣にいたハルが優しく静夜の肩を叩く。
「静ちゃん。あやちゃんは確かにあなたの娘だけど、この子はあやちゃんではないわ。時神現代神アヤ。時神現代神になるまでに何回も同じ外見で生まれ変わってるようね。アマテラス様の力がそう言ってる。不思議だわ」
「……そうですか。あやじゃないんだ……。そうですか」
ハルの言葉に落ち込んでいた静夜を見、アヤはなんと声をかけるか考えた。
「あ、あの……ごめんなさい。で、ですが……昔に優しく呼んでもらった記憶は残ってまして、私はそこから自分の名前を『アヤ』と変えたんです……。今も不思議とお母様とわかりましたし……」
「そう。不思議ね……」
静夜はアヤに優しく微笑んだ。
アヤは懐かしさをなぜか抱き、少しだけ涙ぐんだ。知らないのに、あたたかい感じだけは感じる。
「やっぱり、お母様なのね。私の……。ずっと実は探していたの」
「そうなの……」
静夜は柔らかい笑顔でアヤの背中をそっと撫でた。
「私はずっとあなたの味方よ。あなたの心の中にもいるからね。さ、今は更夜様を助けに行きましょう」
静夜はアヤの胸の真ん中を指で軽くつつくと、仲間を見回した。
「お嬢さん、それでいいんですかい?」
明夜が尋ね、静夜は口もとを緩めた。
「はい。あやちゃんは息子もできて、幸せに亡くなったのでしょう。こうして転生していたのには驚きましたが、今のアヤちゃんも幸せそうなので。お友達が多くて」
「そうですかい」
明夜は柔らかく答えると、静夜を更夜がいる世界へ促した。
それを見たメグは話がいまいち理解できていないまま、アヤとルナとルルを送り出し、「中にサヨがいる。私はもう必要ない」とさっさと去っていった。
※※
サヨはいままで抑えていた感情を爆発させていた。
「なんで……あいつは……」
いまだに元の世界に戻らない、この世界。黒い砂漠の世界。
サヨは砂を握りしめ、唇をかみしめる。
和解も何もできなかった。
こちらの気持ちも全くわかってもらえなかった。
虚無感がサヨを苦しめる。
「……なんで、残った方が苦しむんだろ……。なんでまともに生きているあたし達がこんな……」
「サヨ……。たぶんな、俺達のこの気持ちが凍夜をこの世界に留めていた」
更夜の兄、逢夜はサヨの背中を優しく撫でる。
「ありがとう」
逢夜はサヨに一言、お礼を言った。この言葉以外思い付かなかった。
それを見た千夜の夫、夢夜は、少し考えてからサヨに言葉をかける。
「おそらく、凍夜は新しい魂としてまた、女の腹に宿る。今度は感情あふれる生活をしていくはずだ。凍夜はもういないが……新しくなった魂はどこかにいるかもしれない。だから、もう終わったんだ。望月家は解放され、この世界にとらわれていた凍夜を解放し、救った。皆を救ったんだ」
「……そうとらえるしかないか」
サヨは涙を拭き、立ち上がる。
「あたしは望月を救った」
「そうだ。……だが、この世界だけ砂漠のままだな。厄を溜め込んでいるヤツがまだいるのか」
夢夜のつぶやきにサヨは息を吐き、真っ直ぐ更夜がいる場所を見る。
「おじいちゃんだ」
逢夜、夢夜はせつなげに目を伏せた。
「おじいちゃんを、まだ、救っていない……」
サヨは逢夜、夢夜を置き、歩きだした。
「おじいちゃんを助けなきゃ」
アヤは更夜の妻ハル、娘の静夜、千夜の息子明夜、逢夜の妻ルル、ルナと共に更夜達がいるであろう世界へと入った。
「来たか。俊也は元の世界に帰ったか?」
明夜と静夜を見つけた逢夜はまず、そう尋ねてきた。
「ああ、そうですねぇ。無事に帰りやしたよ」
明夜が答え、静夜は心配そうに逢夜を仰いだ。
「あの……」
「望月凍夜は消滅した。オオマガツヒは黄泉へ帰ったぜ。だが……」
「……お父様は……」
静夜は悲しげな顔でうつ向いた。
「更夜はまだ、凍夜が中にいる。術がとけていない」
「……それならば、皆でときましょう。私や静夜にもまだ、あの人がいるはず」
ハルが答え、静夜が同意する。
「そうしましょう。お母様」
お母様と呼ばれた少女を視界に入れた逢夜は、彼女が更夜の妻であることを思い出した。
「……あんたは……おはるか」
「はい、そうですよ」
「まず、謝罪しなければならねぇことが……」
「……あなたは本当にお顔が更夜様にそっくりですね。逢夜様、謝罪はいりません。あの時(戦国)、あなたが私達の事を凍夜様に話していようがいまいが、結末は同じです」
ハルは微笑んで逢夜にそう言った。
「そうか……なんて言ったらいいのか……」
「何も言わないでくださいませ」
ハルの言葉に逢夜ははにかむと口を閉ざした。
逢夜は次にルルに目を向ける。
「ルル、大丈夫か? お前まで来るこたぁ、なかったんだ」
「逢夜……ケガしてるよ! 私、心配で……」
ルルは逢夜に抱きつき、声を震わせた。
「ワリィ……心配かけた。……ああ、えー……うん、やっぱり戦は良くないな……。平和に暮らしたいもんだ」
「逢夜……やっぱり送り出したくなかった……」
ルルを優しく抱きしめた逢夜は声のかけ方に悩み、とりあえず横にいた夢夜を横目に見る。
夢夜は目の前にいる息子に驚いていた。
「お前は明夜か!」
逢夜の横で夢夜が声をあげた。
「ああ、お久しぶりですねぇ。お父様。変わっていらっしゃらない」
「……お前の血筋は今でもしっかり生き残っているようだ。望月サヨと……」
夢夜はアヤにくっつくように立っていたルナを見る。
「望月ルナ」
名前を呼ばれたルナは肩をびくつかせ、驚いた。
ルナは誰が誰だがもうわかっていない。
「小さな神様か。よしよし」
夢夜はルナの頭を優しく撫でた。撫で方が千夜に似ており、ルナは不思議そうに夢夜を仰ぐ。
「ばあばに似てる……」
「ん? ああ、千夜か。……お前のばあばはな、頭を撫でられたり、抱きしめてもらえた事が子供の時になかったんだ。だから、俺が教えてあげたんだよ。千夜は……優しい顔をしていたなあ……。ルナちゃんにも優しくしてくれているんだな」
夢夜はルナの頭を撫でながら、千夜との思い出を少し思い出した。
「そういやあ、あっしは母様を知りやせん。母様に会いたい……。こんな年になりやしたが、頭を撫でてもらいたい……」
「明夜……、今、千夜は」
夢夜は言いにくそうにうつ向いた。それを見たルナが元気よく答える。
「あのね! ばあばがケガしちゃってるけど、アヤが元に戻せる! だから大丈夫だよ!」
「ええ。時間を巻き戻しましょう」
アヤが頷き、太陽神サキがアヤに気がついた。
「あ! アヤが来た! え? どうやってきたんだい? あ、ハルちゃんも一緒なのかい? 大丈夫だったかい?」
サキは次から次へと表情を変える。表情はすべて心配している顔だ。
「今、あっちで皆動けなくなってるんだよ。アヤ、ちょっと来ておくれ」
「サキ! あなたも腕動いてないじゃない! 折れてるの?」
「ま、まあ……」
サキは言葉を濁しつつ、アヤを連れて、みーくんが立つ場所まで案内した。アヤにルナ達もついていく。
「今、こんな状態なんだよ。親族さん達」
サキは意識を戻さない更夜と千夜、動けない栄次、プラズマを見せる。
「アヤ? なんでアヤが……」
プラズマは弐の世界でうまく未来見ができないようだ。アヤが来ることが予想できなかった。
「そんなことはいいわ。プラズマ。ケガを治しましょう。千夜さんと更夜、栄次が特に酷いわね。サヨ、スズ、大丈夫だから」
アヤは更夜の手を握り、座り込んでいたスズとサヨに優しく言った。
アヤが時間の鎖を出し、全員の体の時間を凍夜と戦う前に戻す。
千夜が目覚め、栄次、プラズマの傷、サキの傷、サヨの傷、スズ、夢夜、逢夜までも傷が塞がり、全員元に戻った。この的確な時間操作はアヤ以外にはできない。
「……っ! 夢夜様ッ!」
千夜は夢夜を視界に入れ、涙ぐんだ。
「ルナも……危ない故、ここには……」
「ばあば、それよりね、ばあばのこどもがいるよ?」
ルナがよくわかっていない顔で明夜を紹介した。
「……もしかして……明っ……」
「実際に会うと恥ずかしいもんですねぇ……。はい。明夜ですよ。母様」
明夜は照れながら、想像よりも数倍小さかった母に目線を合わせた。
「こんなに大きくなって……。私はお前を育てられていない……。息子と呼んでいいのか、わからぬ……」
「呼んでくださいませ。母様。会ったことはございませんでしたが、尊敬しておりました」
明夜が優しく微笑む。
「お前はよく、望月を立て直してくれた……。私は……誇りに思っている」
千夜の言葉にルナが反応した。
「ねぇ! このひとはばあばにイイコ、イイコしてもらいたいんだって! 誇りに思ってるって褒めてるよね?」
ルナの純粋な言葉に明夜は苦笑いを浮かべた。
「ルナちゃん、この年齢でそれはな、ちょいとな……」
「イイコイイコしてもらいに来たんじゃないの?」
ルナは過去が見える。明夜の会話も筒抜けであった。
「……ルナちゃん、あんまりあっしをいじめないで……」
「明夜、こちらにおいで」
千夜は優しい笑顔で、少し離れ始めていた明夜を呼ぶ。
「……母さま」
「おいで」
千夜の柔らかい声で明夜の目に涙が浮かんだ。
「母さま……」
明夜は自分よりも体が小さな母にすがるように抱きついた。
千夜も目に涙を浮かべ、明夜を抱きしめる。
「いままで……ひとりで……頑張ったんだよ……母様……」
明夜の魂年齢が若くなる。
外見が少年に変わった。
凍夜と夢夜が相討ちし、ひとりになった幼い明夜。
寂しさは女々しく泣くなと自分を叱り、むなしさは望月を立て直すことでまぎらわしていた。
「知っていたよ、明夜。死んじゃってごめんな……。本当にごめんな……」
千夜は優しく息子を抱きしめる。それを見た夢夜が包み込むように妻と息子を抱き寄せた。
「……やっと家族が揃ったな」
すべての過去が見える栄次は少しだけ涙ぐみ、家族三人だけ残し、少し離れようと皆に伝えた。
なぜか更夜だけは目覚めない。
傷は治っている。
しかし、意識が戻らない。
「……サヨ、スズ、少し更夜を動かす」
更夜に寄り添っていたサヨとスズは栄次の言葉で離れた。栄次は更夜を抱え、少し離れた場所におろした。
皆が集まり、更夜を覗き込む。
「おかしいわね……。傷は巻き戻せたはず」
アヤが困惑しながらサヨを仰ぐ。
「……凍夜がまだ、おじいちゃんの中にいるんだよ。術をといてない。凍夜が消えて、きっとおじいちゃんは何もかも嫌になっちゃったんだ。だから、戻ってこない。おサムライさんがおじいちゃんに最初に会った時、おサムライさんとおじいちゃんは黄泉に入る寸前だった。おじいちゃんはたぶん、自分の世界に閉じ籠ってる」
サヨはハルと静夜に目を向けた。
「……なるほど。では、助けに行かなければ……」
ハルは弱々しく倒れている更夜をせつなげに見つめながらそう言った。
「おじいちゃんの呪縛を解くには歴史神を連れて来なければならないよね?」
千夜や逢夜の術を解いた時に、歴史神が歴史を繋いで過去に入った。サヨは歴史神ヒメちゃんを呼ぼうと思ったが、それに対し、ハルが口を開く。
「問題ないわ。更夜様のトラウマは私が殺されたところ。静夜を人質にとられたところ……。子供の時のむなしさ……。全部、わかる。だから、このまま、更夜様の心を私達の力で開き、中に入り込んだマガツヒごと、凍夜を消滅させましょう」
ハルがそう言い、スズは目を伏せる。
「……ハルさんはすごいな……。あたし……」
「スズちゃん、あなたも一緒に来て。たぶん、更夜様の辛い過去を追体験してしまうけれど、あなたはもう一度、更夜様をわかった上で、殺される記憶部分で更夜様を救うの」
「え……?」
ハルの言葉にスズは顔を上げた。
「今回はそれぞれ対象の記憶に入っておじいちゃんを救うってことか。おじいちゃんは苦しかった時代が長すぎた。苦しいまま死んだ。だから、凍夜への苦しみも悲しみも恨みも一番消えていない」
サヨの言葉にハルは頷いた。
「ルナが使えそうだね」
ルルが戸惑っているルナに目を向けた。
「え? ルナ? ルナ、なんかできるかな?」
「更夜さんの時間をうまく巻き戻して、静夜さん、サヨの『K』の力で更夜さんの心の世界を固定する」
ルルが答え、みーくんが唸る。
「あんま、ワイズが不利になるように動きたくはねぇんだが、まあ、あんたらがコイツの厄を外に出してくれたら、厄除けのルルと俺が厄を黄泉へ返そう。さっき、黄泉が開いたんだ。次も開くだろ、たぶん。太陽神サキ、黄泉を開く準備すんぞ。俺達も時神も、弐の世界に長くいちゃあいけねぇしな」
「みーくん、さっきいたイザナミって神、襲ってきたりはしないよねぇ……」
「……。イザナミねぇ……。まあ、考えてもしょうがない。黄泉のパスワードが変わってる。また、時間がかかりそうだぜ」
みーくんはサキを連れて再び黄泉を開く準備を始めた。
「ルナ、頑張ろ」
突然に決まり、動揺しているルナの背を撫で、サヨは小さなルナを落ち着かせる。
「ルナは……力をうまく使えない。おじいちゃんを怒らせちゃったんだ。ルナは……できないよ」
今にも泣きそうなルナにプラズマは目線を合わせてから、肩に手置いた。
「ルナ、いるのは霊と、太陽神と、『K 』だ。栄次も更夜の記憶に入る。ルナの役目は重い。だが、それを予想した上で来たはずだ。俺は未来神だからわかる。未来が見えたからついてきたんだろう? しっかりしろ。あんたならできるさ」
「……プラズマ……」
ルナはさらに不安そうにプラズマを仰いだ。
「ルナ、いけ。大丈夫だ」
プラズマに強制的に背中を押されたルナは突発的に神力を解放させた。
「まだ、ちょっとわかんないけど、始まった! えーと……」
サヨは横に立つ静夜に目を向けた。
「私は望月静夜。望月更夜の娘です。サヨさん」
静夜はサヨに笑いかけた。
「……おじいちゃんのっ……娘」
辺りが白い光に包まれる。
「アヤ! ルナの補助だ! 時計を安定させろ!」
「わかったわ」
プラズマの鋭い声が聞こえ、アヤの冷静な声が響く。
「スズ、入るぞ。今度こそ、更夜を救う」
「……栄次」
栄次はスズの手を握り、優しげに微笑むと、白い光に飲み込まれていった。
「静ちゃん、行ってきます」
「……お母様、わたくしも後程……」
ハルも白い光に包まれ消えた。
サヨは白い光の中、うずくまって泣いている更夜を見つけた。
入るか迷っていたサヨだったが、顔を引き締め、更夜の元へ歩きだした。
光が消える。
横たわったままの更夜。
先程と何も変わっていないように見えるが、砂漠の世界にはプラズマとルナ、アヤしか残っていなかった。
「ルナ、神力を安定させろ! アヤが時間を保つ! だから大丈夫だ。ルナがやらないと、皆、更夜の世界から帰れなくなる」
プラズマはルナの状態を保たせるよう、声掛けを始めた。
「プラズマ、時間は固定できているわ。ルナ、神力を落として」
アヤが冷静にプラズマに答え、ルナに言う。
「……っ」
ルナは目に涙を浮かべながら、神力を落とした。
「ちょっと落としすぎね。少し上げて」
「わ、わかんない! わかんないよぅ!」
ルナが焦りを見せたので、プラズマがルナの肩に手を置き、神力を流す。
「俺の神力に合わせろ。力を出しすぎると戻りすぎる。俺は未来神だから過去のことはわからない。だが、ルナの神力の度合いはわかる。今のは出しすぎだ」
「……アヤ、プラズマ……」
ルナが泣きそうな顔をしているので、アヤとプラズマはルナを落ち着かせる。
「大丈夫よ。ひとりでやれと言ってるわけじゃないのだからね」
「いまんとこ、安定してる。大丈夫だ。このまま行くぞ」
アヤとプラズマにそう言われたルナは更夜の下に展開していた時計の陣を心配そうに見つめた。
ハルと静夜は更夜の少年時代を早送りで見ていた。
「……凍夜はいつもの凍夜ですね。お母様……」
静夜が頭を抱え、ハルがため息をつく。
「更夜様はこんなひどい目にあっていても、一度術を自力で解いているのよ」
「……怖くなかったんでしょうか……。いや、怖かったはず。それが十四歳で反抗心に変わった」
「そうだと思うわ。ほら、私が出てきた。更夜様が十歳の時に八歳の私が農村から拐われたみたい。お父様、お母様が戦で亡くなったの。ぬくもりがほしかったのよ。だから、凍夜についていった」
ハルは目に涙を浮かべ、悲しげに笑う。
「お母様……かわいそうに。見ているのが辛くなってきました」
静夜はハルに寄り添った。
「……怖かったわ。大きな男が笑いながら私に暴力を振るの。いつも震えていたわ。でもね、更夜様が守ってくれたのよ」
「……私も怖かったです。でも、お父様が来てくれるはずと頑張って耐えてました」
「あなたも大変だったのよね……。ほら、そろそろ……」
ハルが静夜の背を撫でた時、更夜がハルと幼い静夜を連れ、凍夜の屋敷に入ったところだった。
更夜の顔は暗い。
時間がゆっくりになった。
更夜の声が聞こえる……。
……俺が守らなくては……。
俺がやらなくては……。
もう、アイツを殺せる力はあるんだ。
家族を守らねば。
「静ちゃん、行こう」
「はい」
ハルは静夜の手を引き、屋敷へ入る。
障子扉の部屋から更夜のか細い声が聞こえた。
「静ちゃん。更夜様は必死だったのよ。あなたはまだ小さかったけれど」
「はい。私はずっと、お父様がなんとかしてくださると思っていました。私がお父様の年齢、二十歳前後になった時、お父様がどれだけ若かったのか、選択肢がなかったのかを思い知りました」
静夜の言葉が重くハルにのしかかる。
「……ええ。私も若かった。だから突発的に更夜様とあなたを守ろうと自分を犠牲にしてしまった」
ハルがつぶやいた刹那、更夜の泣き声が聞こえた。
「ハルがっ!」
「静ちゃん。行くわよ」
「はい」
ハルと静夜は障子扉を開けた。
刹那、記憶内のハル、静夜が今のハル、静夜と同化し、ハルは凍夜の前に投げ出され、静夜は子供に戻り、更夜の後ろに回された。
更夜が子供に戻った静夜を抱きしめ、ハルへの暴行を見せないよう胸に押し付ける。
静夜は更夜の心臓が壊れそうなほど早く動き、ひどく体が震えていることに気がついた。
当時はわからなかった。
自分は幼すぎた。
父がどれだけの恐怖を味わっていたのか。
静夜は顔をわずかに上げた。
更夜は恐怖に満ちた顔をしており、唇が震え、何かを小さくつぶやいている。
静夜は唇の動きを読んだ。
……こ、わ、い……
……こ、わ、い……
……こ、わ、い……
更夜はずっと同じ言葉を声を出さずにつぶやいていた。
静夜は目を伏せると、静かに口を開いた。
「お父様、私達は大丈夫です」
「……っ!」
突然に落ち着いた静夜の声がし、更夜は驚いた。
「……大丈夫だ。守ってやる。安心……しろ」
更夜は静夜に優しく声をかける。恐怖を悟られないよう、静夜にそう言ったように感じた。
「ありがとうございます。お父様。もう、怖がらなくて大丈夫です。静夜は無事に大きくなりましたよ」
更夜の力が緩む。静夜は更夜から離れ、母、ハルを呼んだ。
「お母様」
「静ちゃん、うっ……やるわよ」
ハルは凍夜に暴行され、逆さに吊られる寸前だった。
ハルは太陽神の神力を放出し、凍夜を一瞬怯ませる。
「なんだ?」
凍夜が笑いながらハルを見た。
ハルは傷だらけのまま、立ち上がり、更夜の前に立つ。
「は、はる……」
「更夜様、ハルは強くなりましたよ。私は『あなたをおいて死ねません』から」
「……っ」
更夜はハルを引っ張り、自分の後ろに回す。
「更夜、何をしている?」
笑っている凍夜を必死に睨み付ける更夜。
「……ハルを……静夜を守れなかったんだ、俺は……。怖かったんだ。コイツが……。俺ひとりで妻と娘を守らねばと追い詰められていた。だが、よく考えろ……。ハルはハルで俺と娘を守ろうとし、静夜は静夜で俺とハルを守ろうとしていた。俺達は……コイツに屈していない、ちゃんとした家族だったんだ……」
更夜が忍ばせていた刀に手をかける。
「お父様。刀は必要ありません」
静夜は『K』の力を放出させる。
「……?」
「私達、家族は強い。お父様の生きた人生ではお母様が死んでしまった。ですが、心の記憶ではお母様は死んでいません。私はあなたが誇りのままです」
「その通りです。更夜様。私に力をお貸しください」
静夜の『K』の力、ハルの『太陽神』の力で更夜の心はあたたかくなっていく。
もう、凍夜の影が見えない。
更夜は立ち上がり、ハルの元へ歩く。
「はる……おはる……」
更夜はハルに手を伸ばした。
ハルは優しく微笑み、更夜の手をとった。
「私達の時代はとうに終わり、凍夜も消えました。もう、あの男にとらわれなくていい……。あなたを待っているひとは沢山いる。あなたを大切に思っているひとも沢山いる。私も静ちゃんも、あなたにいつでも会える……」
「……う、うう……」
更夜は涙を堪え、ハルから離れようとした。
「泣いて、いいんですよ。あなたは強くない」
「……俺は男だ。妻と娘の前で……泣けるわけないだろう……」
「あなたらしいですね。ですが、あなたは強くないのですよ。強い人間は……凍夜のような感情がない人間です。強さの方向性が違います。あなたはそちらの方面の強さではなく、感情があり、前を向いて歩ける、優しさの強さの方です」
「私も、お父様の辛さを感じました。私がお父様の年齢の時に、適切な生き方の選択ができていたのか、今もわかりません。でも、私は幸せでしたよ。お父様が選んだ道のおかげです」
ハルと静夜は更夜の手を握り、優しげに微笑んだ。
「ハル……静夜……。会いたかった……」
更夜は心に従い、ふたりにすがって泣いた。
「会いたかった! 会いたかった! ずっと……会いたかったんだ。俺は怖かった。家族の形が壊れていくのが、怖かった……。情けねぇ……手が震えてんだ。アイツを憎む気持ちはもうない。ただ、家族が……家族がいなくなっちまうのが……さみしかった」
「ええ……。私もさみしかったです。あのまま、三人で平和に過ごすはずだった。もしかしたら、静ちゃんに兄弟ができていたかもしれない。そんな未来があったのかもしれない」
「……私もさみしかったです。ひとりになって、凍夜に尽くして、泣き叫んでも父も母も来ない。ですが、幸せになれました。お父様、ありがとうございます」
ハルと静夜の声を聞きながら、更夜は強さを捨て、ただ、子供のように泣きじゃくっていた。
ハルの太陽神の力、静夜の『K』の力、更夜の優しい神力が空間に満ちる。
凍夜の影は完全に消え、白い光が黒い闇を外へと追い出した。
栄次とスズはある屋敷に来ていた。そう、ここは栄次と更夜が戦国時代に一緒に住んでいた屋敷である。
ここに同国のスズが敵国の忍だと思われる更夜と、恐ろしく強い栄次を暗殺しにやってくる。
「スズ、大丈夫か?」
栄次はスズを心配した。
スズはもう一度、トラウマである記憶を繰り返さねばならない。
「大丈夫だよ。栄次……。あたしはさ、なんか変な気持ちなの」
「……スズ。更夜の家族に会ったな」
栄次は更夜の記憶を見つつ、答える。
「あたし、ハルさんに嫉妬してたんだ。……あたし、最悪だよね」
「いや……そんなことは」
栄次の言葉にスズは軽く笑う。
「栄次は優しい」
目の前で流れていく記憶。
更夜は淡々と敵を倒し、感情なく、人を殺している。
娘の静夜を早く取り戻すため、凍夜に逆らわずに動く。
「そろそろ、あたしが出てくるね。あたしさ……更夜を好きになっちゃいけなかったかも」
「スズ、好きになることは悪いことではない。更夜はお前が大好きだぞ。俺は過去が見えるのだ。お前のために好きなものを作る計画を立てたり、お前がいない時に寂しがっていたり、お前はもう、更夜の一部なのかもしれんな。故、更夜を好きだという気持ちはなくさない方が良い。お前はもうすでに、人間のくくりではなく、霊だ。人間の常識はもうない。好きでいてやれ。お前の恋はしっかり実っている」
栄次が珍しく恋について語った。
「……うん」
「更夜とおはるは恋愛し夫婦となったが、おはるも更夜もスズを受け入れている。共にこの時代を生き抜いた俺達は皆、仲間だ」
栄次が語り、スズは更夜の過去を見続ける。
……俺は死ねない。
死んだら誰が娘を守る?
ハルは死んでしまった……。
ハルが守った命を俺が守らねば。
更夜は悩んでいた。
更夜を暗殺しにきたという幼い少女が現れたからだ。
……俺はコイツも殺さねばならないのか?
更夜は目線を横に動かす。
更夜のその行動を不思議に思ったスズは更夜が見ている方に視線を移した。
よく見ると庭の木の上に更夜の兄、逢夜がいるのが見えた。
「更夜のお兄さん……だ」
スズはいままで全く気づいていなかった。監視されているとスズが死ぬ間際に明かしてはいたが。
「栄次は気づいてた?」
「……いや。当時は過去を見ないよう、気にしないようにすることで精一杯だった故、気づいていない。この時期はまだな」
「そう……」
スズは再び更夜の記憶を見ていく。更夜の感情が筒抜けだ。
……気づかないふりをして、先に城主を暗殺しよう。そうすればこの子を殺さなくてもいいか。
更夜は栄次とスズが鬼ごっこをしているのを遠くで眺め、目を細める。
……むなしいな。
この気持ちはなんだろう?
わからねぇ。
……くそっ。
「バカ丸出しだな」
栄次とスズが追いかけっこをしているのを見つつ、更夜は口角をあげ、笑った。
やがてスズは更夜と栄次を相討ちさせようと動き始める。
「……更夜、ごめんね……」
記憶を見続けているスズは、自分の行動を更夜に小さくあやまった。
声は届かないが、スズは自然とあやまっていた。
「人間は相手の気持ちの中まではわからない。スズ、仕方のないことだ。この時代は皆必死だ」
「うん」
栄次に言われ、スズは再び口を閉ざした。
「そろそろ、行こうか。スズ、また痛い思いを……」
「大丈夫だよ。栄次。あたし、ちゃんと更夜に言うことがあるから」
スズは歩き出した。
武器を持ち斬りかかり、頬を更夜から叩かれた後、逆上したスズは更夜に飛び道具を投げる。
必死のスズと今のスズが重なった。
「俺も行くか」
栄次も当時の困惑している自分と重なる。せつない瞳で、押さえ付けられているスズを見た。
「いっ……ぎゃああ!」
スズが更夜に腕を折られ、痛みに耐える。更夜の顔には感情がない。
ただ、ここは記憶内部。更夜の感情は相変わらず筒抜けだ。
……片腕だけでいいか。
子供だぞ……。
細い腕だ……。
子供の力なんて大したことないじゃないか。それを大人の男が押さえ付け、骨を折っちまう。
最低な暴力だな。
こんな簡単に折れちまうのか。
いや、骨は簡単には折れない。
俺がコイツの腕を折ろうとして折ったんだ。何言ってやがる。
拘束させるだけにしてやろうとなんて、初めからしてないじゃねぇか。
痛いか?
苦しいか?
同情は……せんぞ。
死ぬわけにはいかないんだ。
「……っ。こ、更夜……」
スズは痛みに耐えながら小さく声を上げる。
「……」
更夜は何も言わず、スズを引っ張り、歩きだした。
「こ、更夜……聞いて……」
「……」
更夜は何も言わない。
……何も考えるな。
……何も考えるな。
とりあえず、コイツを殺すか生かすか……。
……連れて帰って……静夜の姉に……。
夢を見てるのか、俺は。
俺は嫌われているだろうな。
彼女にも監視がいるはず。
……殺そう。
嫌だなあ……。一生抱えそうだ。
スズの着物を淡々と剥ぎ取り、白い着物一枚にさせ、忍道具を黙って並べる更夜。
スズに生きるか死ぬかの問いかけをし、監視がついているとスズが言う。スズは覚悟を決めて死ぬ……。更夜を恨んで死ぬ。
「更夜」
しかし、スズは更夜が考えた予想通りには動かなかった。
「……命乞いか? もう手遅れだ」
「娘さん、お嫁さんを悪く言ってごめんなさい。あたしが入れる場所じゃなかったよ。更夜が沢山悩んだこと、更夜が優しいこと、あたしは知ってる。やっぱり、この時代の記憶を柔らかくするのは無理。更夜の記憶をこうだったかもって幸せにするのは無理。更夜はあたしを殺さなきゃいけない。もうそれしかなかった。だから、もう、それ以外を考えるのはやめよう。更夜はあたしを『殺すしかなかった』の。娘さんと一緒に生活する未来なんてそもそも選択肢になかったし、私を生かす未来なんて元々なかったの。だから、これでいいんだよ、更夜」
スズの言葉に更夜は目を見開き、栄次は目を伏せた。
更夜は刀をゆっくり下におろした。
周りにいる男達の声が聞こえる。
「なにやってんだ! お前が殺るって言ったんだろうが」
「幼女だろ? じゃあ、俺が拷問してもいいか?」
「首を落とす前にな、女のくせに男にたてつくガキにわからせてやれ!」
「おい、アマッコだぞ。相手にするな」
「幽閉したらどうだ? お前ら、そんな敵意を向けるなよ」
「かわいそうに」
バカにした笑い、残虐な言葉、同情の声……様々な言葉がスズと更夜、栄次に刺さる。
「スズ……よく頑張った」
栄次が近づき、悔しそうに唇を噛むスズを解放した。
酷い言葉をかけられたスズは悲しい気持ちになりながら、近くの木の上にいた逢夜を見据える。
「ああ、更夜の心に入り込んじまったようだ。俺も自分に向き合わねぇといけないよな。更夜に悪いことをしちまった」
「色々なところで色々な人の感情が混じっちゃって、退路がなくなって、ひとつの運命だけになってしまった。あたしはどうやっても助からなくて、あそこで死んでたんだよ。でもさ、更夜があそこであたしの人生を終わらせなかったら、こういう続きになるんだ。悲しくなる言葉をかけられて、辱しめられて、苦しくなる。死にたくなる。更夜はわかってくれてたんだね」
スズは逢夜を見てから、栄次、更夜と目線を動かす。
「あそこで死んでいたから、その後、更夜を好きになって、抱きしめてほしくなったんだろうね」
鋭い針が飛んできた。
スズのこめかみ、首を狙う。
スズの監視役がスズを殺そうと針を投げたのだ。
更夜は持っている刀で針をすべて叩き落とした。
「……そうだ。選択肢がなかった。夢は夢のままだ。だが、こんな形で生が続く以上、夢は叶うのかもな」
「更夜、静夜さんとは一緒になれなかったけど、あたしはルナと姉妹になれた。夢、叶ったことにならないかな……。あたしは部外者じゃないんだよね……。家族にしてくれたんだよね……?」
スズが悲しげに微笑んで更夜を見上げる。
栄次と逢夜は二人の会話を黙って聞いていた。いつの間にか白い光が辺りを覆い、スズに酷い言葉をかけていた男達が消える。
「……家族だよ。スズ。お前が凍夜に拐われた時、俺はお前をすごく大事にしていたことに気がついた。お前を他人だと思ったことはないんだ。一度、こうやってお前に酷いことをしてしまったから……どうやって関われば良いのかわからなかったんだ……。ごめんな」
更夜はとても優しい顔でスズを見ると、折ってしまった腕を触る。
「ありがとう。更夜。それと、追い詰めちゃってごめんね」
目線を合わせ、しゃがんだ更夜にスズは手を回した。
更夜はスズの小さな体に戸惑っていたが、なるべくやわらかく引き寄せ、子供ではなく、女性として抱きしめた。
栄次は更夜の優しい顔に涙ぐむと、口を開く。
「……更夜、皆が待っている。帰ろう」
「……ああ」
更夜は栄次に一言、幸せそうにそう言った。
サヨは白い空間の真ん中で、うずくまって泣いている銀髪の子供を見つける。
青い着物を着た幼い少年。
目の前に腹を裂かれた猫が物のように捨ててあった。
残虐でせつなくて、苦しい気持ちになった。
少年は血にまみれた猫を抱き、ただひたすらに泣いている。
「クナイちゃん……クナイちゃん……」
少年は猫の名前を呼びながら、叫ぶように泣き始めた。
「おれがいけなかった! お父様の言うことを聞かなかったから、いけなかったんだ。痛かったはずだね、ごめんね……」
少年は泣きながら猫を地面に埋める。彼がかわいがっていた猫だったのだろうか。
「……おれは、わるいこだから、お父様のおしおき、受けてくるね」
少年はいつの間にか現れた望月凍夜に泣きながらあやまり、凍夜は笑いながら少年の頭に手を置いた。
「動物を使った忍術もあるんだ、更夜。敵の忍が猫の尻に紙をぶっ刺してこの辺にいる仲間へ連絡していた可能性もある。まあ、一応腹を裂いたが何にもなかったな。お前が猫を使って何かをしようとしていたのか? それだったらすばらしい才能だ」
「……ち、違います……。クナイはおれの、ともだちです」
幼少の更夜に凍夜は笑いながら首を傾げた。
「よくわからんが、仕事をサボって猫を飼っていた。と、いうことでいいのかな? 間者かどうかもわからん猫を何の意味もなく世話していたと?」
「……そうです。たぶん。……意味はないと思います……」
凍夜の不気味な笑みに更夜の体が激しく震える。
「この場合……悪いのはお前だな。うちは連帯でケジメをつける決まりだ。兄姉もお前の母もお仕置きだな。さあ、何をしようかなあ。新しいなんかを考えるか。顔を歪めるのが痛いってことなんだよな? じゃあ……」
更夜は恐怖に歯を鳴らしながら、兄、姉になんとか罰がいかないよう、必死に二人を庇う。
「こ、これはっ、おれがいけない……んです。お兄様、お姉様、お母様のぶんもっ……おれにやってくだっ……ください」
「まあ、それでもいいか」
「ひっ……ひぃぃん……」
更夜の鼻をすする音と嗚咽がサヨの耳に届く。
……おじいちゃん……。
幼い更夜は踞り、凍夜にあやまり続ける。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
更夜がケジメにこだわるのは、幼い頃からの凍夜の教育からだった。
逃げたらいけない。
逃げることは、悪だ。
自分じゃない誰かが傷つく。
自分が悪いならちゃんと、『罰を受けなくては』。
痛みに耐えることで、罪を償える。許してもらえる。
この時期の更夜にはしっかりと痛覚があった。
……痛い……痛いっ……
これは……おれのもんだい。
おれのおしおき……。
助けを求めたら許してもらえない。
「かわいそう……。酷すぎる」
サヨは涙を浮かべ、拷問される更夜を見つめる。
痛いと叫ぶ更夜に凍夜は笑いながら「そうか」と声をかけ、全くその手を止めない。
痛いなら効いている、罰として成立している……凍夜はそう思っているに違いない。
「……おじいちゃんはいつもケジメとして罰を与えていた。それは別に良かった。あたしは反省できたから。でも、ルナには暴力になってしまっていた。娘さんの静夜サンにも言うことを聞かないと叩いていたって言っていた。そうか。痛みを与えれば償ったことにできると思っていたんだ。きっと、それは違うってわかっていたんだろうな。だから、あたし達に酷い罰を与えず、お尻を叩いて叱っていたんだ。あの時、あたしのお尻を叩いた後、手が震えてた。罪を償う方法がこれでいいのか、考えてた」
サヨは血にまみれながら謝罪を繰り返す更夜を悲しげに見つめた。
「おじいちゃんは感情がうまくコントロールできないし、細かい選択が上手にできない男。迷うものの、結局は自分のルールから抜け出せない。きっと、ずっと苦しんでいたに違いない」
やがて凍夜が去り、更夜は立ち上がる力もなく横たわり、口元を緩めた。
「……許してくださった。おれは許してもらえた……。罪をつぐなったんだ」
更夜はひとり、笑っている。
「いきるのって……むずかしいな」
更夜は立ち上がる。
傷が治り、少しだけ大きくなった。記憶がわずかに流れたのか。
「お父様に従うのは本当にいいことなのだろうか。周りの人達を見ていてもあのひとは異常だ」
更夜がつぶやき、記憶は激流のように流れていく。
もがき苦しむ更夜。
戦国を生きるのは彼にとってすごく辛いことだった。
幼少の時にかわいがっていた猫同様に、子がいないか確かめるために腹を裂かれ殺された妻、娘は奴隷になり辱しめられ、娘を助けるためスズを殺す。
更夜は自分の人生がわからなくなっていた。
なぜ、自分は生きているのか?
存在価値はあったのか?
存在理由はなんなのか?
幸せはどこにあるのか……。
「もう嫌だ……」
更夜はうずくまり、つぶやく。
「こんな苦しい思いをするなら死にてぇよ……。もう消えてぇよ……」
更夜は子供の姿に再び戻り、泣き叫んだ。
「なんのために俺は生まれたんだよォォ! アァァ!! アァァァ!!」
叫び、頭をかきむしり、拳を何度も地に打ち付ける。
更夜は気が動転していた。
先がない。
道がない。
どうすればいいのかわからない。自分が正しいのかわからない。
生きている意味がわからない。
悲しい。
悲しい。
むなしい。
……さみしい。
「おじいちゃん、助けに来たよ」
サヨは苦しんでいる幼い更夜に優しく手を差し伸べた。
更夜は泣きながらサヨの顔を仰ぐ。幼い更夜は純粋で、かわいい顔をしていた。
優しい子だった事がよくわかった。元々、人を殺せるような性格ではなかったこと、冷酷な殺人鬼ではなかったこともよくわかる。
望月凍夜が彼を変えた。
「今までありがとう。育ててくれて、ありがとう。苦しかったよね」
突然に現れたサヨを更夜は怯えながら見上げていた。
「……おじいちゃん……あたしがわかる?」
更夜はサヨの顔を戸惑いの表情で見つめた後、記憶を呼び起こした。
「さよ……?」
「そう、サヨ。おじいちゃんが育てた娘のひとりだよ」
サヨは更夜の前にしゃがむと、更夜を優しく抱きしめた。
サヨが子供の時、何度も大きな更夜に抱きしめてもらっていた。
がっしりしてて、安心して、更夜がいれば自分達は守ってもらえているという気持ちになれた。
でも今は小さくて、華奢で、弱々しい。
「この時はただのチビッ子だね。かわいいよ、おじいちゃん」
「……あったかいなあ」
「……おじいちゃん、あのね。おじいちゃんはひとりじゃないんだよ、もう。だから、別に強くなくてもいいんだよ?」
「……うん」
更夜から更夜らしくない言葉が出て、サヨは涙ぐみながら微笑む。
「おじいちゃんの後悔があたしらにもかかっていたとは思わなかったよ。あたしの小さい時はただ、怖いけど優しいおじいちゃんだった。でも、今はまた違う感覚」
「さよ……大好きだ。さよは、やさしい」
更夜がサヨに甘えてきた。
「……うん。優しいよ。あたしは優しいんだ。あたし達はおじいちゃんに育てられた。幸せだったよ。ルナは、おじいちゃんが大好きで、おじいちゃんばかり追いかけてる。おじいちゃんはルナを幸せにしてる。今を見て。あたしもルナも、スズも……おじいちゃんがいないと生きていけない。あの時、おじいちゃんは『凍夜に接触しない』と逢夜サンに答えてくれてて、嬉しかったんだよ。あたしらに凍夜は関係ない。今を生きることに一生懸命になろうとしていたんでしょ? 今を生きていることに幸せを感じていたんでしょ? 戻ろう? おじいちゃん。今に」
「……さよ、大好き」
安心した更夜は優しげに微笑み、サヨは更夜を抱きしめた。
「おじいちゃん、あたしも大好きだよ」
あたたかい感情が流れ、さらに優しい声が響く。
サヨ達の前にひとりの少女が現れた。
「更夜、やっと見つけた……。千夜、逢夜の時と違って私は凍夜に完全に従っていたから、あなたを捨ててしまっていたこと、本当に申し訳ないと思っています……」
少女はサヨに微笑み、更夜を撫でる。
更夜は明るい笑顔を彼女に向け、「おかあさま!」と抱きついた。
「優しい、優しい、わたしの息子。クナイちゃんはね、こちらの世界で幸せに消えたわよ。最後にクナイちゃんが私に会いに来て、クナイちゃんの心の声を聞いたの。『優しきあの時の少年へ繋いでくれ。今ある役目を全うし、幸せに生きるが良い』って言い残して消えていったわ」
「そうでしたか」
母に甘えていた更夜は今の更夜へと戻り、母から離れた。
「ありがとうございます。お母様。会えて嬉しかったです。私はおそらく、他にも恨まれているでしょうが、それは私が受け止めます。過去は消せませんが、もう、大丈夫。気持ちが晴れました。では……私は戻ります。あたたかい我が家へ、俺の家族と共に」
「……更夜、あなたは私の自慢の息子。仲間や家族が沢山いる。幸せに生きなさい。……私は最後の娘、憐夜(れんや)を探しに……」
母は微笑んで更夜に手を振ると、世界から消えていった。
「憐夜……」
「おじいちゃん?」
「あ、ああ、いや、ありがとう。サヨ。もう大丈夫だ。行こう。俺は、帰りたい。ルナやスズ、皆に会いたい」
更夜の言葉を聞き、サヨは満面の笑顔で更夜と手を繋いだ。
「更夜が戻ってくる!」
みーくんが叫び、サキが太陽神の力を放出した。
「みーくん! 黄泉は?」
「さっきのがなんだったんだってくらいに簡単に開いた……」
みーくんがつぶやいた刹那、黒い煙が横たわった更夜から出ていき、わずかに開いた黄泉の中へと入っていった。
「しかし、こんだけしか開かなかったな……」
みーくんが指で大きさを伝えた時、黄泉の中から女の声が聞こえてきた。
「天御柱と鬼神、竜巻に桃太郎。桃のデータを持つ彼女が桃太郎か。あの鬼神は鬼退治。めでたし、めでたし。鬼神神格は消えない。残るけれど、鬼はいない」
「イザナミか」
「うふふ……あははは!」
黄泉の開きが小さかったからか、女の謎の声を残し、黄泉は消えた。
「戦闘にならなかった……?」
サキが冷や汗をかきながら、太陽神の霊的武器、『剣』をしまう。
「黄泉へ連れ込まれなくて良かったぜ……。あの空間は異常だ。おそらく、俺達の古いデータ、古い世界もあそこにある……。黄泉はパソコンでいうところのトラッシュボックスだろ、たぶん」
「うう、怖いねぇ」
みーくんの発言にサキは震えた。
「ま、とりあえず、終わった」
「時神は大丈夫かねぇ?」
サキは少し離れて更夜の時間操作をしているルナ達を見つめる。
ルナはアヤやプラズマを交互に仰ぎ、自分があってるのか確認していた。
「ぷ、ぷらずま、あや……」
「いいぞ。それぞれ、入った時間列操作ができている……。そうだろ? アヤ」
「ええ、大丈夫よ。更夜が帰ってくる。時間を……サヨと歩いてる……」
プラズマ、アヤがルナに笑いかけ、ルナはようやく安心した。
※※
更夜とサヨは白い空間をただ歩いていた。真っ白い空間なのだが、帰る道がわかる。
そして、サヨとの思い出の記憶が優しく流れていく。
「ああ、小さくてかわいいお前が映るなあ。これは、叩いてかぶってじゃんけんぽんをした記憶だ」
「……おじいちゃん、楽しそう」
「楽しかったぞ。力加減がわからなすぎて強めにいっちまって、お前が大泣きした時はかなり焦った」
「あははは! そんなに痛くなかったけど、おじいちゃんを困らせてみたかったんだ。おじいちゃんが動揺しすぎてて、イタズラだったのに、悲しくなっちゃった」
サヨが小さく言い、更夜が苦笑した。
「そうだったのか……。かわいいな。それであんなにあやまってきたんだな。怯えさせちまったかと思ったよ」
「過去を見ると、笑って流せない言葉だね……。おじいちゃん」
サヨのせつない顔を見た更夜はサヨの頭を撫でる。
「……でかくなったな」
「うん」
「お前の時は色々、手加減ができなくて、傷つけてしまうんじゃないかと心配して、実家に返そうとわざと離して冷たく対応しようと思っていたんだが、お前に会った瞬間になんか……何にもできなくなっちまった。笑顔を見たら優しくなってしまってな」
更夜は優しく微笑んだ。
「そうだったんだ」
サヨは更夜の本心を知り、小さくつぶやいた。
流れていた記憶にルナが現れ、やがてサヨが今の年齢と重なり、スズが現れる。
「ああ……幸せだったんだよなあ、俺」
更夜は幸せそうな、おだやかな顔で目を閉じ、サヨと共に白い世界から消えていった。
※※
「おじいちゃん! お姉ちゃん!」
ルナの声がし、更夜とサヨは目を覚ます。
「ん……」
更夜は暖かい春の空を眺め、サヨは更夜の上に覆い被さっていたことに気付き起き上がる。
「……春の空? 春の野原?」
更夜の鼻先を蝶が飛んでいく。
「おじいちゃん! お姉ちゃん!」
ルナが呆然としていた二人に抱きつき、泣いていた。
「ルナ……」
なぜ、ルナがここにいるかわからない更夜は状況を知らないまま、ルナを抱きしめる。
「ルナ……会いたかった……」
「うええん……」
「ルナは頑張ったんだぜ」
更夜の前にプラズマが立っていた。
「プラ……ズマ?」
「ああ。詳細は後で話すよ。この世界も戻った。春の世界だったんだ、ここは」
「更夜、大丈夫か?」
プラズマの横から栄次が顔を出す。
「栄次……」
「俺だけではない。皆いる」
栄次が静かに後ろにさがり、更夜の見知っている人物達を前に出させる。
「……!」
更夜は目を見開いた後、顔を歪ませ、情けなく泣いた。
「スズ……静夜……ハル……」
更夜は笑顔でこちらを見ている三人に優しく抱きしめられ、赤子のように声を上げて泣いた。
彼は感情のコントロールができない……。だが、人一倍、優しい感情を持っている。
皆、彼を大切に思い、守ってくれた彼に感謝をしていた。
更夜が抱いた負の感情は黒い霧となり、逢夜の横にいたルルに吸い込まれる。
「きた。彼の厄だ……」
「ずいぶん削ったとはいえ、やっぱデカイな。消化しよう。一緒にな」
「いつものお仕事だね」
ルルと逢夜は手を繋ぎ、更夜の厄を分解した。
家族同士でそれぞれ、再開を喜んでいるところを眺めつつ、プラズマは汗を拭い、アヤと栄次に向き直る。
「ああ、皆、家族に出会えて良かった。……だが、問題がな。アヤ、リカは何してるんだ? 置いてきたのか?」
プラズマの言葉にアヤは体をわずかに震わせた。
「えっと……その……」
「……? アヤ?」
「わ、私が指示を出したの……。ルナの過去見で状況を知って、メグを使って……私達をこの世界に入れたり……リカをひとりでワールドシステムにいれてしまった。おそらく、黄泉のブロックが解除されたのはリカがワールドシステムに入ったからだと思うわ」
アヤの言葉にプラズマはため息をついた後、アヤを真っ直ぐ見据えた。
「アヤ、メグはワイズ軍だ。それにリカをひとりで行かせたのか?」
プラズマがアヤに厳しく言い、アヤは目を伏せて答えた。
「それしか方法が……」
「リカは狙われているんだぞ。マナやワイズに」
「わ、わかっているわよ……」
「メグを使うことをちゃんとワイズに言ったのか?」
「言っていません……」
「今回はワイズと太陽神が処理する内容だった。だから冷林軍がメグを動かすのは話がこじれる。先にワイズに助けを求めたらよかったんだ。ワイズからメグを借りるならアイツは何も言わなかったはず……。ルルもいたんだろ? ルルに頼んでワイズの許可をとらないといけないだろうが。過去を見たならわかるはずだが、黄泉を開く段階で、もう望月家は自分達だけでなんとかしようとはしていない。あんたは軍についてはよくわかっているはずだと思っていた」
プラズマにそう言われ、アヤは目に涙を浮かべうつむいた。
「ごめんなさい。時神が皆傷ついていて、更夜が……」
「……それは言い訳だ」
プラズマは静かに言い、アヤが泣き出した。
「プラズマ、アヤは今回、動揺していたのだろう。あまり強く言うな。アヤはわかっている」
栄次がアヤを庇い、プラズマは息を一つついて口を開く。
「わかっているのは知ってる。謝罪して泣いているんだからな。言い訳は聞きたくない。今回はもう、時神側が悪いことになる。そうされる。ワイズはリカのデータが邪魔なんだ。壱を存在させるために、ちらくつ伍の存在を消したいんだ。前回はマナとリカを相討ちさせようとしていただろうが。アヤは危険だとわかってリカをワールドシステムに入れたはずだ。黄泉はワイズも開けるはず。アイツにやらせれば良かったんだ」
「アヤだけを責めるな。彼女は周りの意見を聞いてから決断をした。プラズマ、今回はお前の誤りから始まったことだ。お前が慈悲深いのは知っているが、ワイズ軍の天御柱の仕事を遮り、攻撃を仕掛けたのだぞ」
栄次の言葉にプラズマは拳を握りしめた。
「わかっている! だが、これ以上、ワイズが有利になれば、俺はリカを守れない! 今回は傍観していれば良かった事で更夜を救うことに集中すりゃあ良かったんだよ!」
プラズマが怒り、アヤの肩が跳ね、栄次はプラズマを落ち着かせる。
「プラズマ、アヤにはあたるな。アヤはお前のイラつきに怯えている。彼女は荒々しい雰囲気が苦手だ」
「……アヤ、ごめんな。今回は……負け戦なんだよ……。気が立っていた。俺は、なるべく弱みを握られないよう、ワイズと交渉してくる。栄次は……リカを見つけ、報告、他のメンバーは休ませる」
プラズマは再び冷静に戻り、栄次に指示を出した。
「……お前、ひとりで大丈夫か?」
「……大丈夫だ」
プラズマは荒々しい雰囲気を纏わせたまま、ワイズに会わせるようみーくんに交渉をした。
「ああ、紅雷王、ワイズに喧嘩を売るのか? 俺は正しい証言をするぜ? ルルと逢夜も会議に出させる。健闘を祈るぜ」
ワイズの側近、天御柱神、みーくんは軽く笑い、太陽神サキに目を向けた。
「お前、会議に出るつもりな顔してるが、呼ばれてないからな。だいたい今回は会議じゃねぇ。時神と東の交渉だ」
「あー、そうかい……」
サキは頭を抱えて答えた。
「まあ、もろもろで戦ってやるよ。俺は守護の約束をかわしたサキを傷つけちまったし、それを治したのはアヤだ」
「みーくんなら安心かな」
サキはそうつぶやき、ハルを呼ぼうとしてやめた。ハルの娘の静夜が『K 』なため、皆を運べるから呼ぼうとしていたが、いつの間にか切ない顔でサヨが立っていたからだ。
「あ、あのさ、今、おじいちゃんはさ、家族に会えたことを喜んでる。だから、あたしが送るよ。壱の世界の扉を出すね」
サヨはさっさと扉を開き、「どうぞ」と促した。
「ありがと! サヨ」
サキだけが明るく言い、みーくんがルルと逢夜を小さく呼び出し、ついてくるよう指示を出す。
二人はなんの話かわかり、眉を寄せつつ、壱へ入った。
最後に扉をくぐろうとしたプラズマがサヨに声をかける。
「サヨ、今回は俺の決断だから、気にするなよ」
「プラズマくん……」
プラズマが去り、サヨは目を泳がせ、どうするか考え、息を吐いた。
……あたしもこっそりついていく。