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津軽の虫の巣 宮本百合子
一 朗らかな秋晴れの日である。 津軽の海は紺碧(こんぺき)に凪(な)いで、一点の曇りも無い虚空を豊かに照り返えす水の上には、これはまた珍らしく漁舟の片影も無い。 閑静に澄んだ波の面には、微かに動く一二羽の水鳥が、大らかな弧を描いているばかりである。 けれども、若し人がその海岸に立って、遠い彼方に瞳を定めたならばきっとその注意は、遙か水平線の上にポッツリと浮き出して小さい物の影に牽(ひ)かれるだろう。 影は紛れも無い二艘の船である。 微かながら、それ等の船は、真上の空に舞う水鳥の、翼の白さにも擬(まが)う真帆を一杯に張って、静まり返った水面を、我物顔に滑べって来るのが認められる。 小豆粒ほどの影は、次第に大豆ほどとなり、やがては小人の船ほどの大きさになって、耳を澄ますと、微風につれて賑わしい船歌さえ聞えて来る。 この二艘の大船こそ、誰あろうときの大守、十代津軽矩広を乗せて、三馬屋の泊から船出した、長者丸、貞松丸という吉例の手船なのである。 歴代の津軽公は、参勤交代で江戸表への上下には、必らずこの二艘の手船で、津軽の海を超える慣例になっている。 今度も、江戸表から、久しぶりに帰城する矩広を乗せて、二艘の船は悠々(ゆうゆう)と晴天の下に浮んだのである。 御手船が見えたという報告は、今まで深い眠りに入っていたような城下を、一時にハッと目醒ました。 急に騒然と人気立った要所要所にやがて一刻も過ぎた頃、船は恙(つつが)なく定めの船泊りに着いたのである。 海上無事を知らせる合図の篝(かがり)が、傾きかけた大空を画って、白上峠の頂上から華々しく燃え上った。 すると、暫らくの間を置いて、それに応える「清八」の狼煙(のろし)が、南部三馬屋から仄かに立ち昇る。 美くしい火の応答が、燦(きら)めく海を隔てて取り交わされる間に、一行は威儀堂々と、上の奥の城へその長い行列を大々しく繰り込むのである。 かようにして、御帰城になる殿様と奥に戻って来る江戸の風聞は、留守居の者共に絶大の期待を与えているのは、言わずもがなのことである。 直接国政とは何の関係も無いいわゆる「女子供」は勿論、正直に言わすれば若士の大多数にとっても、当時彼等の憧憬の的である江戸の土産は、重大な価値を持っている。 まして世は、繁栄はこれが頂上で有ろうという元禄である。 俄に勃興した江戸歌舞伎の、心を嗾(そそ)る団十郎の妙技、水木辰之助の鎗踊、それに加えてさらに好事家の歎賞を恣(ほしいまま)にする師宣の一枚絵は、たとい辺土とは言いながら、津軽の藩中にもその崇拝者を持っている。 良人の留守を守って、心怠りの無かった女達が、私に与えられる南蛮渡りの象牙、珊瑚(さんご)珠、天鵞絨(ビロード)の小帯を、仄暗い燈台の陰で人知れず眺める喜びと、一蝶の戯書(ざれがき)を同好の士に誇る老臣の喜悦とは、その間に必しも大小はない。 当座は、身柄相当に四辺を潤おす土産話に、冬近い北国の城下はときならぬ陽気に蘇返った賑いを見せたのである。 けれども、やがてはそれも耳古りて来ると、今迄どこかの隅に逼塞していた、江戸表の噂も、こんどは施政の是非が人々の口に喧しく批評されるようになって来た。 それも在り来りのお家騒動やお白州事ではない。 お大名の間には、由々しい大事として、目下取沙汰されている当代綱吉公の、生類憐愍(れんびん)のことに就てなのである。 二 始め、天資英明の聞えが高かった綱吉が、彼の初政に布いた善政は、長く諸人の胸に留まっていたので、生類憐愍の令も、或る程度まではいくらかの同情をもって、寛容に観られていたでもあろう。
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