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Posted by

aozora

on Jun 14, 2007
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六の宮の姫君

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六の宮の姫君 芥川龍之介

       一

 六の宮の姫君の父は、古い宮腹(みやばら)の生れだつた。が、時勢にも遅れ勝ちな、昔気質(むかしかたぎ)の人だつたから、官も兵部大輔(ひやうぶのたいふ)より昇らなかつた。姫君はさう云ふ父母(ちちはは)と一しよに、六の宮のほとりにある、木高(こだか)い屋形(やかた)に住まつてゐた。六の宮の姫君と云ふのは、その土地の名前に拠(よ)つたのだつた。  父母は姫君を寵愛(ちようあい)した。しかしやはり昔風に、進んでは誰にもめあはせなかつた。誰か云ひ寄る人があればと、心待ちに待つばかりだつた。姫君も父母の教へ通り、つつましい朝夕を送つてゐた。それは悲しみも知らないと同時に、喜びも知らない生涯だつた。が、世間見ずの姫君は、格別不満も感じなかつた。「父母さへ達者でゐてくれれば好い。」--姫君はさう思つてゐた。  古い池に枝垂(しだ)れた桜は、年毎に乏しい花を開いた。その内に姫君も何時(いつ)の間にか、大人寂(おとなさ)びた美しさを具へ出した。が、頼みに思つた父は、年頃酒を過ごした為に、突然故人になつてしまつた。のみならず母も半年ほどの内に、返らない歎きを重ねた揚句、とうとう父の跡を追つて行つた。姫君は悲しいと云ふよりも、途方に暮れずにはゐられなかつた。実際ふところ子の姫君にはたつた一人の乳母(うば)の外に、たよるものは何もないのだつた。  乳母はけなげにも姫君の為に、骨身を惜まず働き続けた。が、家に持ち伝へた螺鈿(らでん)の手筥(てばこ)や白がねの香炉は、何時か一つづつ失はれて行つた。と同時に召使ひの男女も、誰からか暇をとり始めた。姫君にも暮らしの辛(つら)い事は、だんだんはつきりわかるやうになつた。しかしそれをどうする事も、姫君の力には及ばなかつた。姫君は寂しい屋形の対(たい)に、やはり昔と少しも変らず、琴を引いたり歌を詠(よ)んだり、単調な遊びを繰返してゐた。  すると或秋の夕ぐれ、乳母は姫君の前へ出ると、考へ考へこんな事を云つた。 「甥(をひ)の法師の頼みますには、丹波(たんば)の前司(ぜんじ)なにがしの殿が、あなた様に会はせて頂きたいとか申して居るさうでございます。前司はかたちも美しい上、心ばへも善いさうでございますし、前司の父も受領(ずりやう)とは申せ、近い上達部(かんだちめ)の子でもございますから、お会ひになつては如何(いかが)でございませう? かやうに心細い暮しをなさいますよりも、少しは益(ま)しかと存じますが。......」  姫君は忍び音(ね)に泣き初めた。その男に肌身を任せるのは、不如意な暮しを扶(たす)ける為に、体を売るのも同様だつた。勿論それも世の中には多いと云ふ事は承知してゐた。が、現在さうなつて見ると、悲しさは又格別だつた。姫君は乳母と向き合つた儘、葛(くず)の葉を吹き返す風の中に、何時までも袖を顔にしてゐた。......

       二

 しかし姫君は何時の間にか、夜毎に男と会ふやうになつた。男は乳母の言葉通りやさしい心の持ち主だつた。顔かたちもさすがにみやびてゐた。その上姫君の美しさに、何も彼(か)も忘れてゐる事は、殆(ほとんど)誰の目にも明らかだつた。姫君も勿論この男に、悪い心は持たなかつた。時には頼もしいと思ふ事もあつた。が、蝶鳥(てふとり)の几帳(きちやう)を立てた陰に、燈台の光を眩(まぶ)しがりながら、男と二人むつびあふ時にも、嬉しいとは一夜も思はなかつた。  その内に屋形は少しづつ、花やかな空気を加へ初めた。黒棚や簾(すだれ)も新たになり、召使ひの数も殖(ふ)えたのだつた。乳母は勿論以前よりも、活(い)き活きと暮しを取り賄(まかな)つた。しかし姫君はさう云ふ変化も、寂しさうに見てゐるばかりだつた。
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